CULTURE

Jackie Reem Salloum ジャッキー・リーム・サッローム  

 
   

Interview by 有太マン Photo by EC

2014年1月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

 パレスチナのヒップホップを追ったドキュメンタリー映画『自由と壁とヒップホップ』が公開された。原題は“Slingshot HipHop”。撮影を始めたのは2003年で、完成して公開されたのが2008年だった。
 監督は、ジャッキー・リーム・サッローム。ご覧のように美しい女性である。

Jackie Reem Salloum(以下、J):ミシガンで生まれて今はニューヨークに住んでいます。母はパレスチナ西岸地区出身、70年に祖父母に連れられてアメリカのミシガンに移住しました。祖父がパレスチナで政治的活動をしていたことと祖父の兄弟がそのときすでにミシガン大学で教鞭を執っていたので移住することができました。父はシリア出身です。初めてパレスチナに行ったのは、まだ子供の頃、80年代です。母に連れられて1か月ほど滞在しました。楽しかった思い出です。

ジャッキーはアメリカのパスポートを持っているのでアメリカ人だが、もちろんパレスチナ人でもある。パレスチナ人には4種類の立場がある。彼女のように外国に住んでいる人、ヨルダン側西岸地区に住んでいる人、ガザ地区に住んでいる人、イスラエルに住んでいる人という分類だ。このうちイスラエルに住んでいるパレスチナ人は、アラブ系イスラエル人と言われることが多く、じつはイスラエル人の2割にも及ぶ。

 『自由と壁とヒップホップ』の主役、ターメル・ナッファール、ソヘイル・ナッファール、マフムード・ジャリーリーという3人からなるDAM(Da Arabian Mc's)は、テルアビブ近郊の街、リッダ(イスラエル人は「ロッド」と呼ぶ)が拠点のアラブ系イスラエル人によるグループだ。

 イスラエルとパレスチナが最も和平へと近づいたのは1993年にオスロ合意がなされて、ワシントンで、ビル・クリントン米大統領をはさんで、アラファトとラビンが握手したときだが、その後、関係は少しずつ悪化していき、2000年に、リクード党首でその後首相になるアリエル・シャロンがエルサレムで最も重要なイスラム教の聖地、岩のドームに足を踏み入れたことをきっかけに第二次インティファーダが始まり、和平へのプロセスは完全に崩壊してしまった。

J:DAMは1998年にデビューしました。第二次インティファーダが起こった後に〈誰がテロリスト? 俺がテロリスト?〉という意味のリリックが印象的な〈WHO'S THE TERRORIST?!(Meen Erhabi)〉という曲が書かれました。私が彼らの音楽を初めて聴いたのは2001年で、会ったのは2003年です。

●〈WHO'S THE TERRORIST?!〉は素晴らしい曲ですね。

J:当初は“arabrap.net”からフリー・ダウンロードできるようになっていて、数百万人がダウンロードしました。今はYouTubeで見ることができます。チャックDのラジオにDAMが登場するシーンは、ニューヨーク、ブルックリンのラジオ局、HOT97で2006年に撮影した映像です。〈WHO'S THE TERRORIST?!〉はアメリカでも話題になったので、渡米するチャンスがあったのです。

●DAMとコラボレーションした〈Born Here〉によってパレスチナのヒップホップ・シーンに地位を確立したという女性シンガー、アビール・ズィナーティもリッダで生まれ育ち、イスラエル人とともに教育を受けていたとありますが、ヘブライ語を喋るということですか?。

J:DAMのひとり、ソヘイル・ナッファールもイスラエル人とともに教育を受けました。家ではアラビア語、外ではヘブライ語を話します。

●DAMの音楽を聴くイスラエル人というのもいるのですか?。

J:少ないながらもDAMを聴いて支持しているイスラエル人もいます。イスラエル人のミュージシャンとコラボレートするときもあります。しかし一方で、イスラエル人のヒップホップのミュージシャンも多いのですが、右翼的なことをラップする人が目立ちますね。〈朝目が覚めて、アラブ人、やられる前に俺がやってやる〉みたいな。

●難民キャンプの集会所みたいなところでDAMがライヴを行なって、集まったパレスチナ人たちにみるみる伝わっていく様子は感動的でした。

J:それは、ヨルダン川西岸地区のディヘイシャ難民キャンプで行なったワークショップの一環のライヴのシーンです。

●リッダに住むアラブ系イスラエル人が西岸地区へ行くのは問題ないのですか?。

J:厳密に言うと、イスラエル人のIDを持っているパレスチナ人が西岸地区を訪問することは可能なのですが、チェック・ポイントで警告を受けたり、西岸地区から帰ってこられると思うなよ、と脅されることがよくあるそうです。

●アラブ系イスラエル人がガザ地区に行くことは可能ですか?。

J:今はたとえ親族が住んでいても無理のようです。

●映画に、ガザ地区のラップのグループ、PR(Palestinian Rapperz)が許可を取って西岸地区へ向かおうとしたけど、ガザ地区の出口にあるエレツ検問所で追い返されたシーンが出てきます。その後、改めて挑戦して、やっと西岸地区に行き、DAMと初めて対面するシーンは感動しました。

J:PRが西岸地区を訪問する許可証には条件がついていました。訪問は一夜限りであること、途中イスラエルの中では車を停車させることなく移動すること、というものです。ガザ地区から西岸地区のラマッラまで夜、移動しました。その途中で、一瞬、路肩に車を止めて、遠くからエルサレムの街の灯を見ていました。

●ジャッキーさんはアメリカのパスポートだから、イスラエルもガザも西岸地区も行けるわけですね。

J:私の場合は、アメリカのパスポートを持っていても両親がアラブ出身なので制限がないわけではありません。まずイスラエルに入国する段階で、空港で別室に行かされて6〜7時間も調べられます。これは、再び来ることが嫌になるようにという嫌がらせ以外の理由はありません。それから、ガザに入るための手続きは煩雑で何か月もかかります。基本的に、ジャーナリストか、NGOなど何だかの団体の職員などでないと難しいです。私は2004年、2005年、2006年に入りました。2007年にハマスがガザを支配するようになってからは入ることが難しくなりました。それでも現地のパレスチナ人よりも自由度は高くて、罪悪感に苛まれることもあります。たとえばガザのPRのメンバーに、私はこれからアッコ(イスラエル北部のパレスチナ人が多く住む港町)に行くというと、羨ましがられる。彼らは行くことができないのです。一方、DAMはガザに入ることができないですし。ジェニンとかナブルスとかに行くときはいろいろ聞かれますが、アメリカのパスポートを持っていればだいたいどこでも行くことができます。

●PRとはどのように知り合ったのですか?。

J:この映画を撮り始めたのは2003年ですが、その時点ではガザにはヒップホップをやっている人はいませんでした。でも直後に、ヒップホップのフォーラムにガザでヒップホップをやっている、誰かサポートしてねという書き込みを見かけたのです。それで連絡を取ったのが、映画にも出てくるPRのモハメッド・アル-ファラだった。それでガザに入って会ったら、ちょうどその翌週に初めてのライヴをやることになっていて、運良くそれを撮ることができたのです。その後ガザでは、イスラエルのパレスチナ人社会や西岸地区よりも早く、ブレイクダンスとかも含めてヒップホップが普及していきました。

●モハメッド・アル-ファラは今、アメリカに住んでいるそうですね。

J:彼は、2007年にガザがハマス政権になる前にガザからエジプトに出て妹のところに滞在していたのですが、ハマス政権になったのでボーダーが閉鎖されて帰れなくなりました。2008年1月にサンダンス映画祭でこの映画が上映されたとき、私たちは出演したミュージシャンをなるべく多く招聘しようと努力しました。そのときモハメッド・アル-ファラにもアメリカのヴィザが出たので来ることができたのです。そのとき、彼の叔父がテキサスにいたため、アメリカに滞在し続けることが可能になりました。PRの他のメンバーは今もガザいますが、ネットでのやり取りは可能で、ファイルを互いに送りながらPRとしての曲を制作しています。この映画のサウンドトラックでDAMが作ったトラックにPRのラップが乗っている曲は、直接会わずにネットを介して制作したものです。

●YouTubeを見ると、けっこう欧米でライヴを行なっているようですね。

J:アメリカやヨーロッパでは、映画が公開された2008年に、映画とDAMのライヴをセットで行なうイヴェントを何度もやりました。UAEのドバイやヨルダンでもやりました。DAMはイスラエルのパスポートなので、残念ながら、シリアやレバノンに行くことはできません。彼らはパレスチナ人なのに、IDはイスラエル人となり、ガザに行くこともできないという特殊な立場なのです。

●YouTubeでDAMがラシッド・タハと共演しているのを見ました。

J:DAMは、フランスでもさまざまなミュージシャンと共演しています。

パレスチナのヒップホップは、やはりリアルで素晴らしかった。映画『自由と壁とヒップホップ』を見れば、アメリカのヒップホップは平和ボケしているんじゃないの?と、思わず言ってしまいたくなるほど、ヒップホップかくあるべしという内容だった。
 映画の後もDAMは音楽的に進化している。新作“Dabke on the Moon”(2013)は、シリアのオマール・スレイマンによってお馴染みになったダンス・ミュージック、ダブケを取り入れて、独自性を強めた作品である。