BOOM BAP
THE SAME ROCK
祖国ハイチで地震が発生した1/12の約6カ月前、Black Dadaとして知らるDavidson Pierreは、ケーブルTV局BETの番組「106 & Park」の出演を前にして、NYのW Hotelのスイートルームでレモン・ウォーターを飲んでいた。この29歳のシンガーが「Imma Zoe」でThe BET International Competitionで優勝して以来、この局の番組に出演にするのはこれで2度目だ。
インディーズのStrictly Business Recordsからリリースされた「Imma Zoe」は、ハイチの若者を始め、苦境に立たされている人々の応援歌としてDJ Fadeらの努力により、Miamiの海賊ラジオで盛んにオンエアされ、その後Power96の様なメジャー・ラジオ局で週300回以上のオンエアされた。やがてBillboardのR&Bシングル・チャートでトップ10内に入ると、Universal Republicが彼に契約を申し入れてきた。Birdman とRick Rossが参加した「Imma Zoe」のリミックスも完成し、彼のデビュー・アルバム『Fla』(仮題)の制作も順調に進んでいる。Black Dadaの夢は着実に実現しつつあるようだ。
Dada(以下D):アメリカに来たのは5歳の時だ。多くのハイチ人と同様にNYに行ったんだ。Brooklynで3年過ごしてから、FloridaのFt. Lauderdaleに移ったのさ。なぜかハイチではFlorida州の事をMiamiと呼ぶんだ。
●ハイチにいた時の事は覚えている?
D:色々覚えているよ。島国から来た人間は、祖国の事をより鮮明に覚えているものさ。例えばFloridaでハリケーンに遭遇したとしても、俺達は電気がなくても平気だ。そんなどんな状況でも対応できる力強さがハイチ人には備わっていると思う。ハイチ人はたくましいからね。
●タイトルの"Zoe"にはどんな意味があるの?
D:Zoeには"骨"という意味がある。痩せている人を「お前はZoeだ」と言うんだ。また親友の事を「お前は俺のZoeだ」と例えたりもする。「骨の芯まで友達だと思っている」という事だ。骨は折れた後に完治すると、元の10倍の強さを持つといわれている。だから"Zoe"とは苦境をくぐり抜けて、たくましく生きている人の事を指すのさ。
●「Imma Zoe」はMiamiに住むハイチ出身の若者の応援歌になっていると聞いたが。
D:ハイチ人でなくてもこの曲に共感する事は多いはずだ。力強く生きていれば誰でも"Zoe"なんだ。シングル・マザーや企業経営者、高校や大学を卒業し職探しをしている人々、人種のせいでマイノリティ扱いされている人々...。苦境に負けずに成功を信じて努力している人々、彼ら全員がZoeなんだ。
●アメリカの大統領もZoeなのか?
D:そうさ、ZOE-bamaだ。この言葉は好きだな。かつて奴隷だった人種が今は国を治めている様なものさ。彼の中にある強い何かが彼を現在のポジションまで進めてくれたのさ。
●ここに辿り着くまでにはどんな大変な事があったのか?
D:沢山あるさ。俺は普通の黒人に比べても肌の色が濃い。だからBlack Dadaなんだ。学校ではハイチ人という事だけでいじめらていたしな。
●いじめたのはカリブ諸国出身の子供か?
D:そう、殆ど全員だね。ハイチ人は皆、いじめらていた。当時、ハイチ人はその事実をあまり話そうとはしなかった。単にそんな哀しい現実を直視したくなかっただけの事さ。
●なぜいじめられたんだ? 国が貧しいから?
D:そうさ。もしかすると他のカリブ諸国と内情は変わらないかもしれないが。よくあるだろ、自分よりも不利な立場にいる奴を見つけてはいじめて優越感に浸るなんて事。今でこそ、ハイチ移民は祖国の事に関して積極的に発言したりもするけど。だからこの曲はハイチ人への応援歌なんだ。これがパワフルな曲だという事はリリックを聴いて貰えば分ると思う。苦境に耐えてしっかり自分の足で立てと訴えているんだ。
ハイチの人々はまだまだ困難な日々が続くだろう。Black Dadaのハイチにいる家族や親戚も地震により多大な被害を被った。恐らくハイチ出身のアーティストの中で最も熱心に救援を呼びかけているのは元The Fugees のWyclef Jeanだろう。しかし、彼の様なR&Bやラップ・スターがハイチのためのチャリティ活動を始めたずっと前から、Dadaは祖国のために様々な事を行ってきたのだ。「食べ物は本当に美味いよ、それに女性も美しい」と2、3年前に行った祖国でのライヴを思い出しながらDadaは語った。「どんな国にもゲットーはあるさ。でもそのゲットーの程度が国毎に違うと考えればいい。例えばNYのゲットーはハイチのそれよりもきれいに見えるかもしれない。でもゲットーには違いない」
Dadaは音楽一家に生まれた。彼の曾祖父はハイチの国家音楽ディレクターで、大統領官邸で国賓をもてなすための音楽を演奏していた。彼は自身の音楽キャリアについて「これは殆ど運命の様なものだね」と言った。
今回の震災が彼にとってどれほど大きなショックだったか想像できるだろう。「オレは"幸せだった"と死ねる事が分ってとても嬉しい」と彼は昨年6月のインタヴューで語った。「もし、俺が音楽で成功すれば、ハイチにいる家族や親戚のために何かできるかもしれない。彼らの仕事をアメリカで斡旋したりしてさ。またはハイチでも何かできるかもしれない。俺はそういった事に人生を捧げたいんだ」
震災の後、Dadaは「On My Own」という曲を録音した。タイトルは、地震で親を亡くした子供達を指している他に、アメリカで何不自由なく暮らしているのに現地の家族や親戚に対して何もしてやれないというDada自身の自責心も指している。「On My Own」のビデオでは、スタジオのミキシングボードに点滅する多数のライトとPort Au Princeの瓦礫に埋もれている黒い遺体を交互に映し出す。「よく、俺はこの地震に対して心情的にどの様に対処しているのか、と問われる。俺は家に帰って、自分の部屋のドアを閉めてただ泣いているよ、と答えている。俺にはハイチの人々の叫びが聞こえ、彼らの痛みを感じるんだ」。この状況こそ、Zoeのみが打開できる窮地なのだ。
TEXT BY ROB KENNER
アメリカの『VIBe』マガジン、VIBE MEDIA GROUPのエディター・アット・ラージとしてREGGAEコラムを執筆中。HIP HOP/REGGAEに深い愛情を持つ。
Website → www.boomshots.com