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黒いシンタックス〜 90年代のダンス・フロアにて
 
Text by Hiroshi Egaitsu
 
写真は90年代のクラブのフライヤー、アーティストのプロモーション・アート・ワーク、そしてアーティスト。場、情報の流通、パフォーマー、それぞれが相互作用して全体が機能していた。
 
 2004年、イギリスはロンドンのV&Aミュージアムで、「ブリティッシュ・ブラック・スタイル」という展覧会が開かれた。メジャーな組織による重要なショウだったが、それよりずっと以前、90年代にブリティッシュ・ブラックはすでに音楽とスタイルを更新した。その、現在にもまだ作動可能な側面を記す。
 
 ブレイク・ビーツという考え方/手段、については雑誌『MASSAGE』7号で特集が組まれていた。その原初において、ヒップホップがもしレゲエと違うはっきりした点があるとしたら、それはブレイク・ビーツなのであり、それゆえにその強調はされなければならない。と、同時に、ブレイク・ビーツを簡単に神格化するのも、生産性がない、とは思う。というか、安易に神格化すると来るべきものが見えにくくなることが多い、とは経験則で感じる。
 
 『MASSAGE』では、僕を含めて何人かの人間がブレイク・ビーツについて語っている/書いているが、ECD氏は私的な回顧からある結論を見いだす......"よいレコードに探すことに集中すれば、その中にいいブレイクもグルーヴも見つかる。ダメなレコードの中にいいブレイクがあることはまずない"。これもまた長い経験......かなり金額と時間を費やして彼が達したひとつの結論であることは明瞭である。ECD個人的には、この文章と結論は音楽に対しての考え方の、ブレイク・ビーツと長くつきあうことによっての変遷を示唆しているし、ブレイク・ビーツを越えて、という話になっている、と僕は思う。
 
 ブレイク・ビーツはNYの初期のヒップホップのDJたちによって発見されて広まった。最も素晴らしく、分かりやすい例はYouTubeでグランドマスター・フラッシュがキッチンで撮影され、プレイしているフッテージがあるので、それを探してもらえばすぐに分かるだろう。基本的には、現代のポップ・ミュージックの多くは、このブレイク・ビーツという考え方/手段、の広い意味での影響下にある。
 

 
 その後ヒップホップの広まりと同時に、ブレイク・ビーツは世界中に広まった。日本にも広まったし、UKでも広まった。UKでもECDのような人がいっぱいいたわけで、ブレイク・ビーツ(それを利用して作られた音楽)を子供の頃に聞いて、それがそれまでに聞いていた音楽とは違いにショックを受け、"よいレコード"を作る手探りを始めたのだ。
 
 "よいレコード"はそのまま"よい音楽"なのか?という問いは大きすぎる設定なのは、ひとつにはブレイク・ビーツを作って作られた音楽の多くがポップ・ミュージックかつダンス・ミュージックである、ということと、判断基準をどこから持ってくるのか?ということが無論あるからだ。
 
 なぜダンス・ミュージックは機能するか?というと、ある種の音楽は特定の場、条件、が揃ったときに人々に働きかけるからである。当たり前、といえば、当たり前だが、なんでチープに作られ、来年にはもう誰も聞かないような音楽がなぜ自分にとってだけ、ある瞬間、とてつもなく素晴らしく体験出来るか、それは誰にでも起こる。国籍も、性別も、人種も、年齢も関係ない。だから、中途半端に考えられた歌詞よりも、陳腐な歌詞のほうがある種の普遍性を持つ。そして、その瞬間、自分に起こった素晴らしさ、多幸感のようなものは、幻想ではない。 音楽の効用のひとつであるから(僕自身はこうした音楽を積極的に常に支持はしてこなかったのは、それらの多くは商業的に既に支持を受けていたからである。この考え方は後に登場したローカルかつアンダーグラウンドなダンス・ミュージックに適応できることに気がつく。遅くてすみません)。
 
 数年ほど前、ニコレットという女性アーティストとコラボレーションを考え、しばらく連絡をとったりしていたが、資金がなかったのでやめた。そして、オーガナイザーとしての自分の能力の低さ加減に申しわけなくなるのだが、そのニコレットはUKの90年代のブレイク・ビーツのシーンから出てきたアーティストである。もし彼女の名前も歌声も聴いたことがなければ、マッシヴ・アタックのセカンド・アルバム『Protection』に収められている「Sly」と「Three」という曲を聴いてみてほしいが、彼女がShut Up And Danceというレーベルのために作っていた音楽を聞くとブレイク・ビーツがUKの特定の場でどのように機能していたか、それを少しぐらいは想像できる。すると、いかにマッシヴ・アタックのキャスティングがソフィスティケートされたものかがあらためて理解もできる。マッシヴ・アタックはサウンド・システムの経験の長いメンバーが作り上げたグループである。前述した『Protection』のプロモーション・ツアーのときには、サウンド・システム・スタイルでアメリカ合衆国を回ろうとしたが、まったくコンセプトが理解されなくて、困った、と後に愚痴ったぐらいである。マッシヴ・アタックはある程度、自分たちの長い経験をスタイリッシュにまとめて売ろうとしたグループであり、この言い方は決して悪口ではなく、彼らがいかに音楽で食っていこうとしたか真剣に考えただけでなく、それをロンドンの業界が全力を持ってバック・アップしたか、ということが分かる。こういう話は随分と昔、いっぱいしましたな、Ambivalence殿?
 
nicolette
 
 脱線失礼。しかし、ニコレットのファースト・アルバム『Now Is Early』がもし分かりにくい作品だとしたら、それは機能する場と切り離されているから、とは、ある程度言えるだろう。このことは写真家の石田昌孝氏と話させてもらったことがあるが、ここでもふたたび問題なのは、"よいレコード"と"よい音楽"という話、もしくは判断基準の話だ。判断基準が持ち出されなければならないのは、音楽的語彙の豊かさとは別なところで、ダンス・ミュージックが場と結びつくと、魔術のような瞬間を現出させるからである(繰り返し)。同時に、過去と比較すると、音楽がデータとして世界中のいろいろな場所にコミュニティとして浮上するような時代は忘れてはならない。90年代がもし2000年初頭と違うとしたら、このことであることは誰もが話題にしているが、その是非を問うよりも、どう対処すべきなのかはもちろんである。
 
 Shut Up And Danceのリリースしていた大量の12インチ・シングルは、A面にはヴォーカルが入っているが、クラブでプレイされていたのは、インストルメンタルのB面である。そして、それはツールとしてMCとDJに使われていたわけだ。彼らの音楽的語彙だって別にもの凄く豊かではない。しかし、昔のものの言い方 にあるように、"美学的理想"と"魔術的現実"のどちらを生きているか。どちらがいいのだろうか。

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