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321    ARTISTS    風輪

風輪
RUB A DUB ON THE STREET
 
Interview by Toshiaki Ohba / Photo by Gasstaxgb
 

 東京の西に位置するベッドタウン、多摩センターや全国各地の路上にマイク、アンプ、MDプレイヤーを持参し活動を続ける風輪。「Road To 横浜レゲエ祭」でもお馴染みの彼らがミニ・アルバムを完成。ほんわかしたダンスホール・チューンがじんわりと染みる。
 
●二人でマイクを握ろうと決意したきっかけは?
singer壮(以下壮):決定的な引金は03年の八景島、「横浜レゲエ祭」です。Sami-Tさんが「最初は50人位しか居なかった。馬鹿にした奴も沢山いた。でも1万人まで来たぞ!」と叫んだ瞬間に鳥肌が立って、「俺は必ずあのステージに立つ」と心に決めました。
 
●普通ならばクラブに行って、マイクを掴むのが一般的だと思うのですが、路上、しかも若者が集まる街ではなく新興住宅街の駅前を場所に選んだ理由は?
壮:レゲエを歌いたい。でも思う存分に歌える場所が無い。だったら自分で作るしかない。そう思い立って路上に立ちました。地元多摩センター駅前は全て歩行者専用の道路ですし、警察も苦情が無い限りは黙認してくれるので...。
伸太郎:スタジオに入る代わりに路上で夜な夜な公開練習みたいな感じでしたね。
 
●伸太郎さんは青年海外協力隊でザンビアに約2年間従事したそうですが、その体験で得たものと言えば?
伸太郎:とにかく街に音が溢れてました。一つのラジカセを囲んでみんなで踊ったり、歌ったり。誰もがリスナーでありプレイヤーなんだと感じました。何かを模倣して"それっぽく"こなすよりも、"ありのままのスタイル"で表現することの大切さを得ました。
 
●では「Road To 横浜レゲエ祭」に3年連続参加で参加して得たものは?
壮:世界で戦う彼らからチャンスを与えられた事は大きな自信になりました。とは言え、お客さんが望んだものは風輪ではなかった、と真に受け止めています。それでも風輪のジャッジに手を挙げた人が居た事を忘れてはいけません。
 
●そうした体験で得たものが本作に凝縮されていると思いますが、どことなく90年前後のダンスホールの臭いも漂ってきますね。この時代の音が風輪の基本?
壮:風輪の持ち味と言うより、Teradaさんのトラックによって引き出されたものですね。彼に「風輪は日本のBrian & Tony Goldや!」と言われて初めてこの年代の音を意識するようになりました。
 
●そのTeradaさんやRaw Technicazは京都がホームタウンですけど、彼らとの出会いは?
壮:京都は不思議なぐらい縁の深い土地で、初めてのライヴもダブ録りも京都でした。そのダブ録音の際に使ったのがTeradaさんのスタジオで。僕たち東京の現場でのリンクが希薄だったんでデモを作る際に「それなら京都に行ってTeradaさんに録音してもらおう」となったんです。で、向こうにいる時に小さなイヴェントでマイクを握ったり、路上ライヴを繰り返している内にRaw Technicazとも出会って。
 
●本作の完成によって今後のヴィジョンも見えた?
伸太郎:俺らの歌で全国の仲間たちを巻き込むような風をおこし、世界を包み込むような大きな大きな輪を作っていきたいです。
壮:今まで通りコツコツと地道に、しかし野望は大きく、感謝の気持ちを忘れず、リスペクトし合える仲間と繋がりながら豊かな音楽シーンを担う一人の歌い手であり続けたいですね。


 

"Riddim Of Life"
風輪
[Don Pa Don / DPD-001]
www.donpadon.com

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