RING RING RING
【RUMIの巻】
日本語ラップとは何か?が定義されたと思った瞬間に、逸脱していくアーティストがいるように見える。新しい作品『Hell Me NATION』の制作中に行ったこのインタヴューでは直接作品に触れていないが、RUMIは(彼女が言う通り)彼女のラップの内容が正確かどうかであるより、それを伝える彼女のラップそのものが耳を刺激する。論理/倫理ではなく、ラップはその意味内容を運ぶためだけではなく、その揺れ、動的な形態が聞き手と相互反応的に繋がる事がより重視されていい。
●ヒップホップをやる事は、ラップをする事より重要でしょうか? この質問は滑稽でしょうか?
ヒップホップの意味するところについては、正直なところ、それが何なのかずっと探している感じです。自分はまさに知らない人に『お前のラップはヒップホップではない』とか、『君はパンクだ!』とか色々言われて、主流からハグレているうちに、そういったカテゴリー分けのようなものに、どうでも良くなってしまいました。ただ、ラップとヒップホップは、自分を導いてきたものなのでとても大切に思っています。答えになってないかもしれないですが......」
●最初にラップに自分でやってみようと思ったのはいつですか?
「16歳か17歳頃です」
●いつからラップに真剣に取り組んだのでしょうか?
「17歳頃、日本語のフリースタイルを見る機会があり、その後にラップ・グループをやり始めてからです」
●いつの時代でも音楽に関わるのはもちろん、特にラッパーになるのは、賭け率が高いと思います。そうしたリスキーな道をあえて選んだのはなんでしょうか? もしくはそういう事を意識していないのでしょうか?
「幼少時から言葉を書き溜める癖があったのですが、その吐き出し口が無くて苦しかったので、ラップに出会って、『いいモン見っけた!』って感じでした。一時期ラップから逃げた事もありますが、やっぱり帰ってきてしまったので、リスキーな面ももちろんありますが、あるいはそれが自分を鍛えているという感覚が楽しいのかもしれません。意識してないというのが一番近いかもしれませんね、よい点のほうが多く感じてるので」
●70年代の一部の歌謡曲は僕も好きですが、RUMIさんはどこに惹かれているのでしょうか?
「女が、嫌ってほど女っぽくて、湿気があっていじらしくて......という世界観に惹かれます。あとは日本海の血しぶきが飛んできそうなフォークも好きです。変えようと思っても変えられない"血"みたいなものを感じるのかもしれません」
●日本人女性である事をどう思いますか? 何か悪いところはありまか? もしくは、他の国の人に教えてあげられる事はありますか?
「あまり国単位で物事を考えた事が無かったので、深く考えた事がなかったです。特に日本人女性として嫌な思いをした事は無いのですが、言葉を扱うので、日本語が他国にも通じる言語だったらなと思う事はあります。昨年、上海でライヴをさせてもらったとき特に強く思いました。国に関係なく女性として不便に思う事はたまにあるのですが、男性にもそれは少なからずあるのではないかなと思います。生理だけは本当に面倒臭いですが。教えてあげられる事は、何がそれに当たるのか分らないですが、国が違っても性別が違っても違いを認めて理解しあう事は大切かなと思います」
●自分がパフォームするバックトラックをどういう基準で選びますか?
「やった事が無いタイプの曲をどんどんやってみたくなるので、聞いた瞬間に、そこで自分が何をするか分らない感じの曲を選びます。あと、そのトラックメーカーの色が、出そうとして出してる色より"出ちゃってる"色の方が濃いのが好きです。周りに止められる事も多々ありますが...」
●今まで自分がやった事がないようなトラックを選ぶ、と答えていましたが、RUMIという商品としてのパッケージが難しいような気がします。商品としての、自分、みたいな事についてRUMIさんの意見を聞きたいです。
「これはヒップホップって何?という疑問と重なってくるのですが、"ラッパー"だって事は現状確かなんですが、トラックも何かジャンルのようなものを絞っていかないといけないんだろうか?という疑問があります。本当は私の目指すところは、どんな音楽に乗っても、私のラップが載れば自分の音楽になるというのが理想です。そしてラップ聞いてる人に色んな音楽を紹介したい気持ちも少しあります。私の中でフリースタイル中にドラムンベースがかかろうがテクノがかかろうがラップでバシっときめられる人が"ラッパー"なのです。でも、それでは伝わりづらいというのも意見も多くいただいていて、それも理解できるので結構いま一番悩んでる事かもしれません!......」
●小さい頃から、言葉を書きためる癖があって、それを吐き出せる『いいモン見つけた』、としてラップを発見したと仰っていましたが、自分の中での言葉とそれを外の現実に世界に出したときでは言葉は変わってくると僕は思います。そのとき、いい事も悪い事も両方起きると思うのですが、自分の言葉の確かさ、みたいなものをどうやって測るのでしょう?
「確かな言葉というのは無いように思います。飛鳥涼が『言葉は心を超えない。とても伝えたがるけど心に勝てない』と歌っていたのを悔しくも感じるし共感もします。私の場合、思った事をとりあえずノートにズラズラ書くのですが、そのときは感情100%だとしても翌日読むと、別の感情が芽生えたり、別の角度から見えたりします。それを繰り返して、最終的に音楽に吐き出すものの中には、自分より少し上の自分というか、私の目標とする自分が居たりすることも多々あります。その言葉に引っ張られて、自分の背筋を伸ばす事もあります。自分の言葉が誤解を招いたり、人を不快にさせる事があったり、完璧でない事も含めて、それが自分であると思っています。あと、若い頃得たラップする興奮のようなものは、30歳超えた今も感じる事があって、それにはフリースタイルというものが強く影響していると思います。思った事をその場で言い、相手に言われた事に反論もでき、スキルも伴わなくては伝えきれない、そして修正もきかないという結構過酷なゲームですが、フリースタイルで得たものはすごく大きいです」
●自分の言葉の影響力についてどう考えていますか?
「以前は、『自分は自分の思った事を言うだけだ』と思ってました。ただ、いくつか音源を出したりライヴを重ねたりMCバトルに出たりするうちに、自分の吐いた言葉が誰かの人生に小さくも影響を与える事を感じてから、もっと愛と責任をもつようになりました。まだまだ自分の影響力は不安定で弱いと思いますが、見知らぬ誰かの力になれたらいいなとは思います」
荏開津広(One Hand Clappin')
テキスト、施行、時折DJ。所謂ストリート・アートに関してまとまった文を書きました(現時点予定)。アクセス限定(商品ではない)なのが難ですが、手に入る人は読んでみてください。