Photo & Text by SIMON "MAVERICK" BUCKLAND
Greetings Friends,
●Steely & Clevieのキーボーティストで、Roots Radicsでも活躍したWycliffe 'Steely' JohnsonがNew York州Long IslandのBrookhaven Memorial Hospitalで9月1日に死去した。47歳だった。死因は心臓発作。彼は以前から糖尿病を患っており、昨年末には腎臓不全にも陥っていた。彼は小さい頃から音楽に関わっていてBrowne Bunchから"教育"をされ、Lee PerryのBlack Arkで演奏した。そして、Roots Radicsへの参加で彼は名声を得ることになる。しかし、彼の最大の功績はStudio Oneバンドのドラマーで、Steelyとは幼なじみだったCleveland 'Clevie' Browneとのデュオ、Steely & Clevieとしての活躍だろう。彼らがデュオを結成した頃、レゲエは「Sleng Teng」の登場に象徴されるデジタル時代を迎えていた。2人はKing Jammyのスタジオ・ミュージシャンとして働く傍ら、Jammyスタジオ以外のセッションにも参加していく。次第にジャマイカ中のプロデューサーがこぞって彼らを起用するようになり、彼ら自身もプロデューサーとして腕をふるうようになる。Gussie Clarkeによる1980年代後半から90年代前半にかけてのヒット曲のパワフルなサウンドは、彼らが創りだしたものなのだ。1992年リリースの『Steely & Clevie Play Studio One Vintage』(ちなみに、夕暮れにKingstonを望むPeter CouchのJacks Hillスタジオの庭園で2人が写っているジャケット写真は、僕が撮影した)は大ヒットを記録し、オリジナルStudio OneヴォーカリストのDawn Pennが歌ったシングル「No, No, No」は国際的にヒットした。また、才能がありながら当時無名に等しかったGarnett SmithをGarnett Silkと改名し、アルバムを制作したのも彼らだったのだ。この様にWycliffe 'Steely' Johnsonは多数の楽曲とたくさんの思い出を残していった。彼の家族と友人に慰めの言葉を贈りたい。
Steely (left) & Clevie
●ジャマイカのヴェテラン・プロデューサー、Sonia Pottingerが、アメリカのIndependent Online Distribution Alliance(IODA)とウェブにおける彼女のレーベル、High NoteとDuke ReidのTreasure Isleプロダクション(1974年にArthur 'Duke' Reidが死去する前に彼女がReidから購入した)の重要かつ画期的なディストリビューション契約を結んだ。IODAは、ジャズ・ミュージシャンのCy Colemanにより1962年に創立されたインディーズの音楽出版社、Notable Musicを通してPottingerが権利を持つ音源を配信していく。来年中にはPottingerが所有する全ての音源がネット上の有料ダウンロード・サイトや、携帯音楽サイト、または定額聴き放題サービスなどで購入または利用できるようになるそうだ。
●ドイツのBasic Channelレーベルが2001年以降の音源を積極的にリリースしているお陰で、Lloyd 'Bullwackie' Barnesと彼のWackiesレーベルの評価が近年やっと高まってきている。そして彼自身、Bronxの225th Streetに新たなスタジオを構えて新たな活動を展開し始めた。1989年に241st Streetのスタジオ(この以前に彼はWhite Plains Roadにスタジオを持っていた)を閉めた後にNew Jersey州のEnglewoodに拠点を移した。そして日本のレコード会社とも関係があった。1980年代には、タキオンや我がオーバーヒートのように熱心な日本のレコード会社と音楽的に素晴らしい関係を築いていた。また、WackiesはMute Beatの『Still Echo』をオーバーヒートからライセンスしてリリースすることにより、彼らを正式な形でアメリカのオーディエンスに紹介してもいる。Wackiesのレアなアナログ盤の価格が上昇し続けるのを憂いだのか、Lloydは時間を割いてジャマイカを旅し、現地で録音した。また、レコード会社とライセンス契約の交渉をし、Wackiesの音源がヨーロッパでリリース可能なように手配もした。彼が彼自身のスタジオとともに音楽シーンに帰ってきたことをとても嬉しく思う。
●8月初旬、ベテラン・プロデューサーのWinston Rileyが彼の音楽業界への貢献が認められ、St. Andrewで行われた「Tribute To The Greats」というショーで表彰された。彼はヴォーカル・グループTechniquesでDuke Reidの下、ロックステディ時代に数々のヒットを放ち、その後にはグループ名を冠した自らのレーベルTechniquesを興した。表彰された後に彼は「生きているうちに自分の功績を讃える賞をもらえて嬉しい!」とコメントしたようだ。Winstonは僕にとって初めてアルバムジャケット用の写真(Sanchezの『Loneliness』)を買ってくれたプロデューサーだ。もちろん、僕が彼に次に会った際には握手を求めるつもりだ。おめでとう、Winston!
ex-Mute Beat's Kazufumi Kodama
●「君にとってはジョークだが、オレにとっては死を意味する」という、Jacob Millerが映画『Rockers』で早口にまくしたてる印象的なセリフがある。Buju Bantonにとってこのセリフはかなり重くのしかかっているに違いない。1991年にBujuがリリースし、ジャマイカでヒットした「Boom Bye Bye」(僕はこの曲の録音セッションに立ち会っていた)がまた彼を苦しめている。彼の主要ツアーがある度に抗議によりキャンセルされるショーが相次ぐのだ。Ohioのゲイ・コミュニティのひとつ、Columbusのショーもそうだった。Columbusの人権擁護団体はBujuのショーを「Victorian Villageのゲイ&レズビアン・コミュニティの安全に対して明らかな脅威」と呼び、10月3日にLifestyle Communities Pavilionで開催予定だったBujuのコンサートは中止に追い込まれた。おそらく彼はこの会場名の皮肉なネーミングに気づいていたと思う! 彼のUSツアーでは同じような理由(電話・e-mail・Facebookのメッセージなど)で8月下旬から9月上旬の間だけでも7ヶ所(Los Angeles、Philadelphia、Chicago、Las Vegas、Dallas、Houston、San Francisco)でショーがキャンセルされている。インターネットの普及により、人々はこのような情報に驚くほど敏感に反応する。Bujuは「Boom Bye Bye」で主張していることを、この先も続けていくのが賢い選択であるのか、もうすでに分かっているはずだ。だが、2度と人前であの歌を歌わないと約束しているBujuだが、YouTubeでは彼の同性愛者を軽蔑するリリックを歌い続けるBujuの映像を見ることができるのだ!
Till Next Time, Take Care..............
(訳/Masaaki Otsuka)