HOME > 319 > WYCLIFFE "STEELY" JOHNSON R.I.P.

topics

WYCLIFFE "STEELY" JOHNSON R.I.P.
 
Text by Takanori Ishikawa
 

『Riddim』No.99の表紙(1991年7月号)。Riddim 100号記念で東京、名古屋、大阪のクアトロで合計5ショウをやった。
 
 "レゲエ界の世界宝"Steely & ClevieのWycliffe "Steely" Johnsonが9月1日、NYの病院で永眠した。彼に対して我々は感謝の言葉しか思いつかない。ありがとう、Steely。
 
 Steelyが亡くなった。NYの病院に緊急入院したという知らせは聞いていたけれど...。あまりに突然の訃報。世界中のジャマイカ音楽を愛する人々が言葉をなくしている事だろう。私も正直ビックリして上手く言葉が出てきません。だって、まだまだ若かったじゃないですか。
 
 私は彼と特別に親しかった訳でも、仕事で関係した訳でもなかったけれど、彼の創り出した音楽とは常に、そして特別に親しかった。彼と相棒の2人からなる世界最高のオリジナル・リディム・デュオ、Steely & Clevieのクリエイトした音楽が大好きです。それこそ、何千回、何万回と聴きました。彼がいなかったら、彼が創り出した音楽がなかったら、こうして『Riddim』誌に文章を書く事もなかったでしょう。だからSteelyが世を去ったという事実は本当にショックです。残念です。
 
 今、この文章もSteelyのサウンド・システム、Silver Hawkによる'93年の実況カセットを聴きながら書いています。'09年現在に聴いてもやたらカッコイイです。凄いサウンドだ。エッジの効いた重低音が腹に響く。'94年の来日公演(Overheatとメガバイトによる共同企画)に行った方なら体験済みだと思うけど、音がとにかく太いよね。唸りをあげているし。強烈に頭と身体の両方にヒットしてくる。15年前にこれだけの事を演っていたんだからスゲエよな。クールでバッド。こんな音、Steelyにしか出せねえよ。でも、彼のいない世界を考えてしまうと、こんなにワイルドな音を聴いているのに何か泣けてきちゃうんだよね。湿っぽくてすみません。
 
 とにかく、Wycliffe Johnson、通称Steelyは、80年代以降のジャマイカ音楽シーンを常に相棒のClevieと共にリードした偉大なミュージック・マンだった。彼が音楽界にデビューしたのは、まだ十代の頃。Sugar Minottとのレコーディングを経て80年代ジャマイカ最高のバンド、Roots Radicsへ最年少メンバーとして参加。キーボーディストとしてGregory IsaacsやBunny Wailer等のバッキングでも達者な腕をふるっていた。後に相棒となるClevieと出会いのエピソードはドラマチック。このエピソードが真実ならば(多分本当の事だろうと思います)、音楽の神様も粋な計らいをするもんだ。場所はあのLee PerryのBlack Ark Studio。Pabloが手掛けたHugh Mundell「Africa Must Be Free」のレコーディングでの出会いが彼ら二人の永きに渡る友情の始まりだったという。80年代にジャマイカ音楽界を一変させるコンピュータライズド革命をリードしたSteely & ClevieがBlack Arkでその歴史の一歩を踏み出したなんてとても不思議な話ですよね。
 

初来日のクアトロでのショット。左からR.Lyn、Clevie、Steely、Danny。エンジニアでFattaが同行した。(Photo by EC/1991年) / Bobby Digital Studioの狭い通路でまだドレッドじゃないBuju BantonとSteely。Buju 20歳、Steely 30歳くらいか?(Photo by EC/1992年)
 

1990年代半ば頃のSteely。この時期、完成直後のStudio 2000で制作された曲も数曲収録した『Jamaican Home Boys』を完成させた。 / Jammyが「こだま&ゴータ」の曲をRemix中にSteely(左)が現れた。このあとJohn Johnも加わり3人同時にコンソールを操作してDUB Mix。(Photo by EC/1996年)
 
Studio 2000でThriller UのMix中。最高の音を創る為にアイディアを出し合い深夜まで作業した。(Photo by EC/1997年)/ Steelyの愛犬Puppyとの写真。この頃にはすでに随分と痩せてしまっている。(Photo by Ryo the Skywalker/2009年6月)
 
 その後、"Sleng Teng"以降、ダンスホールのデジタル化を一気に進めたKing Jammy'sでヒット・トラックを量産。"Duck"も"China Town"も"Punanny"や"Agony"もみんなSteely & Clevieが創ったんですよ(因みに当時のJammy'sのエンジニアはBobby Digital)。88年には自身のレーベル、Steely & Clevieをスタート。"Taxi"のリメイク・トラックでロングランの大ヒットを飛ばす。クリアで立体的、青天井の如く広大なスペース感を持ったハイクオリティなダンスホール・サウンドでジャマイカ音楽を一気にネクスト・レベルに導いた功績はとてつもなくデカイ。'91年にはそれまでのレゲエの常識を打ち破った"Giggy"リディムを発表。全てのパートがパーカッシヴで、ブツ切りのベースが猛烈にアタックするそのサウンドは、ジャマイカの音楽の歴史を変えたと言っても過言ではない。アフリカ及びウェスト・インディーズのプリミティヴなリズム・パターンを現在進行形のダンスホール・サウンドとして結実させた手腕の見事な事。大胆にバス・ドラムを抜いたDave Kellyの"Big It Up"など新型ダンスホールのプロトタイプとも言える斬新な音作りを当時すでに彼らは実行していたのだった。因みに、Timbaland、Swizz Beatzが登場する遥か以前の時期のお話です。彼、Steelyの革新性がうかがえますよね(このSteely & Clevieによる"Giggy"リディムは、"Sleng Teng"ほどには話題にのぼる事は少ないが、コンピューターライズド以降の最もエポック・メイキングなトラックだと言って良いだろう)。
 
 更に'91年には"Riddim 100号記念企画"として初来日。世界をリードする音楽錬金術を一目見よう、聴こうと私も会場に行きました。普段のダンスホール・イヴェントとは一味違うクールなムードが会場に充満していたのを覚えています。シャープなダンスホール・サウンドとSteely & Clevieの立ち振る舞いが目に焼き付いています。今思うとかなりカヴァンギャルドなイヴェントですよね。ダンスホールのトラックメイカー、それも世界最高峰の二人が"生"で演奏するんですから。二人とも元々楽器も操れる人達だからこそ実現できたんですね。打ち込み小僧には無理な芸当を軽々と楽しんで演奏しているその姿、もう一度見たかったです。いや、一度見られただけでも有り難いんですが...。
 

「Riddim 100号記念企画」として初来日公演を開催。この時、Steelyはまだ29歳だと思われる。(1991年6月)
 
SOverheatとClub Jamaicaを運営するメガバイトとの共同企画で、Steelyが運営するサウンド・システム、Silver Hawkを招聘。(1994年7月)
 
 '95年には待望の専用スタジオ、Studio 2000をオープン。相変らず頭の中はどうなっているのか覗いてみたくなる様な創造的なサウンドを量産。若いファンにもお馴染みの"Street Sweeper"、"Bad Weather"、"Nine Night"等をヒットさせた。
 
 常に"最高の音楽"を"最高の音質"で届けてくれたSteely。これからもどんな音でビックリさせてくれるのかいつもいつも期待していました。そしていつも期待通りのカッコイイサウンドで私達を楽しませてくれたSteely。同じトラックでもミックスやアレンジが違っていて、1曲1曲が生きている感じに仕上げた職人的なところも大好きでしたよ。そう言えばStudio Oneのリメイクで聴かせたメロウで、時に鮮烈なプレイも素晴しかったなあ。相棒は健在だけれども、もうSteely & Clevieとしての音楽を聴く事は叶わないのですね。
 
 Steely、あなたが奏でた力強いメロディと音楽を私は忘れる事はないでしょう。そしてそれまで知らなかった新しいジャマイカの音楽の楽しさ、面白さを教えてくれてありがとう。本当にあなたの音楽は素晴しかったです。

 

"Tuff Riddim"
Steely & Clevie & V.A.
[Overheat / OVE-006 / 廃盤]
91年作品。Steely & Clevieの初来日公演に先駆け、彼らがプロデュースしたヒット曲や未発表曲を満載したアルバム。日本では本作によって初めて彼らの作品をまとまった形で聴くことができた。Junior TuckerやCobra、Tony Rebelらが参加。"Mama"リディムやリメイク・リディムなど今聴いても斬新。解説は佐川修。
 

根城にしていたMixing Lab Studioでの2ショット。ここからTiger「When?」など大ヒットを連発中だった。翌年Studio 2000が完成。(Photo by EC / 94年)
 
IN MEMORY OF THE GREATEST REGGAE MUSICIAN
"STEELY"

 
■ Steelyと初めて会ったのは彼がKing Jammy's Studioのボビー・デジタルの下で働いていた時だ。その後すぐにSteely & Clevieレーベルができたんだけど、私たちはその後もとても親しい関係を築き続け、80年代後半にはFoxy Brownの「Sorry」、Tigerの「Ram Dance Hall」、Gregory Peckの「Poco Man Jam」などのヒット・ソングを、そして最近ではSean Paul & Sashaの「I'm Still In Love With You」など数多くのヒット・ソングをリリースしたよ。
 実際、Steelyはいつもエネルギッシュでクリエイティヴだった。だから彼は、Redman & Pick-Outなど他のプロデューサーの制作の手助けをしたりもしていたんだ。彼はいつもアーティストたちを励まして、彼らの才能を最大限に引き出していたね。私にはSteelyと一緒に働いたたくさんの大切な思い出があるんだ。そして今......本当に悲しい。(Criss Chin / VP Records CEO)
 
■ こんな遠い日本に住んでいる私の人生を、こんなにおもしろいものにしてくれて、本当にありがとう。あなたの存在とそしてもう居なくなった現実が、また音楽の素晴らしさを改めて感じさせてくれました。そう、あなたは世界の音楽家だったんですね、一緒に楽しい時間を過ごせて幸せでした。I'll always love your work...R.I.P. Steely.(Pushim)
 
■ 何より重要なのは、生ドラムではなく、ドラム・マシンを使ってのトラック製作、そしてライヴ演奏までやってのけたことだ。いわゆる"打ち込み"とは考え方が異なる。何でも有りのレゲエだからこその快挙であって、現在の没個性的な音作りは、すでに虚しい。(工藤晴康 / 新宿OPEN)
 
■ Steelyは伝説のミュージシャンであり、偉大なプロデューサーであり、ダンスホールそのものでありました。そして数年来の友人でもあり、日本びいきのガジェッターであり、ヘンなジャマイカのおじさんであり、スタジオで遊ぶ大きな子どものようでもありました。 たった2ヶ月前にMix Downしてもらった時の、家のネットが復活した瞬間に見せた、やせちまったSteelyの笑顔が忘れられません。R.I.P. Steely. ありがとう。
(Ryo the Skywalker)
 
■ 彼と初めて会ったのはマイアミのSkengdonスタジオだったから80年代の終わりかな。91年にMixing Labのバックヤードで本気で嫌がる彼を口説き落としSteely & Clevieを初来日させたのが1番の思い出。その後の日本びいきは皆さんが知る通り。友人という程はお互いの話もできなかったが、一緒に仕事をした時間は長い。たぶんSteelyが関係してくれた曲は50曲以上だろう。Clevieに電話して彼の死を確認した時、なぜか涙が出た。陽気でおしゃべりでちょっと気分屋なRudeboyが作った閃きとこだわりの曲たちは永遠です。(石井志津男)
 
■ スティーリー&クリーヴィー。ド・ストライクである。私がレゲエを聴きはじめた頃のトラックは、私が気付いていようと、いまいと、彼らのものでした。一つの時代が終わった......。合掌。(H-Man)
 
■ Sugar Minott、Bunny Wailer、Gregory Isaacs、Roots Radicsのダブ...。今から30年前、彼等のアルバムにSteelyの名は必ずクレジットされていた。印象的なオルガンのフレーズを弾く「あの人」が、自分と同い年とは知らなかった。ジャマイカ独立年の生まれ。当時、十代。
 Steely & Clevieがいなければ、Jammy'sの成功もあり得なかった。ダンスホールという音楽自体、成立しなかったかもしれない。鍵盤弾きならではのベース、歯切れ良いピアノのカッティング、汎カリブの要素を、たくさん詰め込んだリズム・トラックの数々...。
 彼等のライブには、幸運にも三度ほど立ち会う事が出来た。セレクターとして同じステージにも立たせていただいた。
 ありがとうSteely。(佐川修)
 

top
top
magazine

magazine

magazine

magazine

magazine

magazine

columns

GO BACK

ISLAND EXPRESS
UK REPORT
WHAT THE DEAL IS
PLAY IT LOUD
RECORDS & TAPES
RAW SINGLES
CHART
RING RINg RING
BOOM BAP
Day In Da West

columns
columns

columns
columns
columns
columns
page up!
Riddim Nation

"Riddim"がディレクションする
レゲエ番組「Riddim Nation
第19配信中!

Go RiddimNation!

nation