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RING RING RING
 
【DJ TUTTLEの巻】
渋谷のある店の壁にはこう落書き(?)が書かれていた。「FUCK PC, REAL DJ'S USE VINYL」、では真のDJとは誰?
 
現在、M.A.R.G.I.N.A.L. R.E.C.O.R.D.S.を経営しながらDJを続けるDJ Tuttle氏にインタヴュー。Tuttle氏はニュー・ウェイヴなどを片っ端から輸入盤で買うことから音楽にどっぷり浸かりはじめたという。1977年、最初の世代のパンク・バンドで好きなのはセックス・ピストルズとダムド(判らない人は調べてみても損はない、特に後者)。そしてサイケデリック・ロックは今でも好きだと言う。
 
「その後に影響を受けた最初に聴いた音楽は厳密に言えば、小学校のころの特撮や映画などの効果音です。以後のT.G.(スロッビング・グリッスル)などのノイズ・インダストリアルやP.E.(パブリック・エナミー)、ミート・ビート・マニフェストなどにそういう部分でまず惹かれました。今も大好きです。小5、6はハード・ロック、メタルで、中学でUKハードコアからアーカイヴで初期パンクです」
 
パンクは明らかに社会と音楽の関わりを聞き手に明快に意識させる音楽であったし、彼が持つ別名義のMarginalmanで想起させるのも、"辺境"が世界の中心を揺らがす時代の領域を跨ぐ者の足音だ。
 
「マージナルは結局のところ、幼年期の自分のヒーロー『ムーミン』のスナフキンや『男はつらいよ』の寅さんとか『未来世紀ブラジル』のTuttleにしてもそういう境界線の立ち位置が自分の性分的にも共感出来るというところが軸となっていますが、社会的にはもちろん、黒でもなければ赤でも保守でもなく、中心部と外縁を行き来して腰を据えることなくリアルな現場の視点をもつということです」
 
DJ Tuttleの名前の由来はテリー・ギリアムのきわめて80年代な映画『未来世紀ブラジル』のロバート・デ・ニーロの役名だ。ここではロバート・デ・ニーロは車を運転するのではなく、忘れられない役割をさらっと果たす。この映画でもっとも重要な役柄ではないが、小学校5年生以上の世界観がある人には、より興味深くなる人物として彼は登場する。DJ Tuttle氏の発言で面白いのは、(映画でのロバート・デ・ニーロの役にも似てか?)彼が中心部と外縁を行き来して腰を据えることなく、"リアルな現場の視点を持つ"という部分だと思う。
 
「見方とすれば社会と音楽という関係というより、変わり続ける現実世界とともに必然的に変化し呼吸をとる自分自身ということでしょうか(マージナルで掘り下げれば芸能から被差別問題の日本の歴史ももちろん関わりますが)」
 
音楽をプレイすること以外での戦略的なものを持てない、と言うTuttle氏は、Tuttle & Dynamo Laboratoryとしてリリースした『大日本昆虫記』の受容のされ方でかなりの挫折を味わったと言う。その「とりあげられなさ」加減で! おっと!! しかし、それ以後DJとして東京に呼ばれるようになると、その作品を買ってくれていた人々の存在が判ってくるのだが、それも「10年経ってからなんですよね」と言う。たぶん、ここでもタイトルは映画、この場合は今村昌平の映画からで、そこからも色々なことを思い起こさせるのだが。
 
DJの不幸とは、時代と不可分だ。なぜならDJは時代の産んだ子供だからだ。手法ではない、毎日のことどもとして。DJはグローバリゼーションを24時間意識せずにいてもいい時期に急激に注目を集めた。DJは電子コミュニケーションがまだ十分に整えられてない時代に現れた。そこでの"場"は、身体的な空間として、観客の眼を保持続けるのではなく相互作用され、インスタントに生成されるものだった。すなわちクラブでは受動的なだけでなく、そこで仲間と会い、情報を交換し、かわいい女の子に声をかけ/かけられ、新しい面白い人間を発見し、また身を音楽に任せることが可能な場所だった。そして、現在、"場"は、電子コミュニケーションが網状に交差する空間に浮かび上がる何か、としても存在しつつあるのだ。それは実質的な肉体の交歓が繰り返される都市という場にとって何を意味するだろうか? 特に東京のような、乾いた都市にとって? では、大阪にとって?
 
「その時から、大阪の判りやすいパッケージみたいのは、判っていました。例えば、スカ〜レゲエとか......。でも、それを全面に押し出すのは嫌でしたね」
 
それを当時25歳だったというTuttle氏のもうひとつの選択肢へ欲求として、なぜそうしたものを受け止め楽しむ空間/余裕がクラブ・シーンにもメディアにも既になかったか? 元来、もうひとつの選択肢として始まったクラブなる空間とそこにいた人々が既にある方向に働きつつあったとして(こうした"業界"の意図に沿わないものは集団的意識により(?)疎外されただろうが)、そのひとつの最も安易な理由が経済的なもので、80年代半ばから始まったDJの熱狂は、この国では夜の街に流れ込んだ資本によって強く後押しされていたのだが、1990年代半ばには既にその力学自体が終わっていたというもの。一部のDJのギャラのみが固定され、もしくは良い率で歩合制となり、多くの人間にとって大量のレコードを集めそれらをターン・テーブルに載せることで生きていくにはリスキーに過ぎた。音楽産業側としてはDJを新しいパッケージの"のりしろ"として使ったのであって、それは日本のDJたちがこれまでに作った音楽を聴いてもらえば判る。幾つかの例外を除いて、それはポップ・ミュージックの補強として働く。
 
もしテクノと呼ばれている音楽の一部が、今の世界のサウンド・トラックとして作られているとしたら? この国のポップ・ミュージックの様式は変わらない、それはいいも悪いもない、だとしたら、クラブから派生した音楽がそこから離れてどう作用するかも知りたい。結果として、ポップ・ミュージックの一部として整理されるのでは勝ち負けの判っている遊戯であり......それともこうした思いつきが乱暴なのだろうか?
 
「DJを続けるということは上記のような概念で深く自分を考えないようにして、ダンスフロアーの結果どうあれ、ある意味"あ・き・ら・め・る"で、音のセレクトのみを最重要視してやっているのと気持ち的に一番強いのは"これ(レコード)を聴いて! で、どうよ!"という、コール&レスポンスで、旧譜の掘り起こしでもまだ試せていないパズルの可能性と自分の知らない現場でやれてないことが大きいでしょうか」

 
荏開津広(One Hand Clappin')
イアンさん! 本出すなら声ぐらいかけてね!! 会ったのずいぶん前じゃんよ。プーチンに合わせて妹と会って、久しぶりに密談! テヘランからウォーター・パイプ空輸で到着!

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