HOME > 317 > BOOM BAP #17 No.317

topics

317    BOOM BAP    COLUMN

BOOM BAP
 
7/7、ChicagoのCharter One Pavilionでの出来事だ。Jackson 5 の「I Want You Back」の最後の一音が消えると、Jay-Zは「これ以上このライヴから得るものはないと思う前に、これを見てくれ」と言った。するとMichael Jackson(以下MJ)のイメージが巨大なスクリーンに映し出された。そして彼は満員の観客に訴えた。「彼の死を悲しむべきではない。彼の人生を讃えよう」
 
このライヴの13日前、The King Of Popは薬物乱用が原因と思われる心臓発作によりHolmby Hillsの自宅で死去した。世界中のメディアが激しい報道合戦を繰り広げる中、VIBEのスタッフはTMZ(MJの訃報を最初に伝えた芸能ニュース・サイト)のショッキングなリポートが誤報であって欲しいと願っていた。丁度その朝、VIBEのKeith Murphyは50歳になったMJのカムバック・ステージを取材するため、UK行きの航空券を手配していたのだ。オレ達はこのニュースを聞くと同時に電話を一斉にかけ始めた。オレはまず雑誌の創始者、Quincy Jonesにコメントを求めた。VIBEのウェブはQuincyのコメントをいち早く掲載した。それはオレ達の希望を完全に打ち消すものだった。「今日、私は小さい弟を亡くした。私の魂の一部が彼と共に消えてしまった」
 
その時点で、オレ達はLil Wayne とKobe Bryantが表紙のVIBE16周年記念号の編集をほぼ終えていたが、急遽内容をMJ追悼号に変更し編集作業に入った。MJはVIBEの表紙に2度登場している。その際に一部のハードコアなラッパー達は「MJはソフトでポップ過ぎ、かつストリートさに欠けている」と文句を言った。しかしJay-ZがMJをリスペクトしている事からも分かる様に、彼は単なるスーパースターではなかった。彼は先駆者であり、彼自身が巨大な社会現象だった。そしていつも彼はHip Hopと共に生きていたのだ。
 
Run-DMCは85年リリースの「King Of Rock」で「これはMichael Jacksonではないし、勿論Thrillerでもない」とラップしている。この真意について、Darryl "DMC" McDanielsはMJを軽蔑している訳ではなく、敬意を払っているものだと説明している。「彼は非常に成功したアーティストなので、その偉業を曲に盛り込みたかったんだ。それに当時、1日中MTVで流れていた黒人アーティストといえばオレ達とMichael位だったからな」。それから約1年後、MJが87年発表の『Bad』を制作中に、彼らは「Crack Kills」という曲を共作した。ラフ・デモまでは録音したのだが、それ以上の作業は進まなかった。だが、運命というのか、88年のGrammy賞授賞式においてRun-DMCはMJをステージで紹介する役目を担った。「彼はステージに現れるとオレ達におじぎをしたんだ。そして、『彼らは爆弾の様に破壊力がある魅力的なアーティストだ』と紹介してくれた。オレはあの日の事を一生忘れない」
 
MJの91年発表の『Dangerous』からはHeavy Dをフィーチャーした「Jam」がシングル・カットされた。Heavy Dは当初、電話で彼に連絡をとろうとしていた人物がMJではなくイタズラ野郎だと思っていた。Heavy Dは2、3回ほどその電話につきあった後、Quincy Jonesに本当に電話の相手があのMJなのかと確かめたそうだ。「Michaelはオレをスタジオに連れていきトラックを聴かせてくれた。キツイ事に、オレは彼にそれがイマイチである事を伝えなければならなかった。オレの人生で一番困難だった事の一つだったよ」とHeavy Dは思い出す。その後Heavy DはMJにTeddy Rileyを紹介し、その結果「Jam」とアルバムはいい具合に仕上がった。
 
その4年後、MJは新作『History』から「This Time Around」をシングル・カットした。そしてこの曲にはBiggie Smallsが参加した。このアルバムは、レコード会社がベスト盤と抱き合わせで売らなければならいほどダークで過激な内容だった。Biggieは「オレはNigga(黒人)を殺す。ジョークではない本気だ」とラップしているが、MJを「My Nigga Mike(オレ達と同じ黒人のMichael)」と呼んでいる。当時MJは友人だと思っていた人々が次々と離れていく経験をしていて、恐らく彼はBiggieに親近感を抱いたのだろう。
 
MJの4回目となるラッパーとのコラボはNYのMC、Jiggamanだった。01年発表の『Invincible』からの1stシングル「You Rock My World」のリミックスだ。実は、このシングルよりも「Hot 97FM Summer Jam」というライヴのエピソードの方が今では伝説となっている。このライヴにJay-ZはMJをサプライズ・ゲストとして呼んでいたのだ。Jay-ZがステージでMJを熱狂的な観客に紹介したのだが、MJは90秒経ってもステージに上がってこない。恐らくこの90秒はJay-Zのキャリアの中で最も長く感じた90秒だっただろう。「オレはあのカーテンの横からMichaelが現れるのを祈るように待っていたんだ」とJayは言う。遂にJayは自らMJを舞台袖から引っ張り出し、無事に2人で写真におさまった。その際、MJはB-Boyポーズをとり、観客に「I Love You All」と言った。
 
彼の死から4日後にVIBEの廃刊が決定し、MJ追悼号は幻に終わった。VIBEは景気後退や雑誌業界の地盤沈下、そして経営サイドのリーダシップ欠如の犠牲となった。雑誌廃刊のニュースはVIBE編集部員にとてつもないショックを与えた。勿論、オレも愕然とした。創刊以来16年間、この雑誌と共に過ごしてきたのだ。雑誌が無くなると同じ位に残念なのは、オレ達がきちんとした形でMJに追悼の意を示せなくなってしまった事だ。人々は、彼が生きている時、彼の素晴らしさを理解してはいなかったのではないだろうか。Jayもその事はよく分かっていたと思う。Jayは、Biggieが死去した際に、彼の親族が悲しんでいる間、彼への盛大なトリビュート・イベント等が行われていた様を見ていたのだ。だからJayはChicagoのステージであのような発言をしたのだろう。
 
「彼の死を悲しむのではなく、彼の人生そのものを讃えよう。それがオレの考えだ。もし、Michael Jacksonが人々にもっと愛されていたのなら、彼は死んでいなかったかもしれない。彼の死を悲しむのは止めて、彼の人生を讃えよう。Can I Live?」
  
TEXT BY ROB KENNER
アメリカの『VIBe』マガジン、VIBE MEDIA GROUPのエディター・アット・ラージとしてREGGAEコラムを執筆中。HIP HOP/REGGAEに深い愛情を持つ。
Website → www.boomshots.com

top
top
magazine

magazine

magazine

magazine

magazine

magazine

columns

GO BACK

ISLAND EXPRESS
UK REPORT
WHAT THE DEAL IS
PLAY IT LOUD
RECORDS & TAPES
RAW SINGLES
CHART
RING RINg RING
BOOM BAP
Day In Da West

columns
columns

columns
columns
columns
columns
page up!
Riddim Nation

"Riddim"がディレクションする
レゲエ番組「Riddim Nation
第19配信中!

Go RiddimNation!

nation