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Sly & Robbie
 
Text & Photo by Masataka Ishida
 

初めてSly & Robbieを見たのは84年。グラストンベリーと、ロンドンのレゲエ・サンスプラッシュで、Black Uhuruをサポートしている姿だった。それから25年めにして初対面。世界最強のリズム・セクションの40年間を40分間で聞いた。ただただリスペクト!
 
3月6日、丸の内のコットンクラブで、Sly & Robbieに会った。そして同日同所で行われた「Sly & Robbie + Taxi Gang with special guest Bitty McLean」のセカンド・ショウを見た。
 
Sly & RobbieがプロデュースしたBittyの新作『Movin' On』が、とにかく素晴らしいので期待していたが、Bittyの声は良く通っていたし、至近距離で見るSly & Robbieの演奏はやはり感動的で、レゲエの真髄に触れた気がした。
 
アンコールの最後にやったのは『Movin' On』のなかでもとりわけ印象的な「Lately」という曲。"Taxi" Riddimに乗せてStevie Wonderの名曲をカヴァーした大ネタの組み合わせで、キラー・チューンとはまさにコレだという感じ。歌い終わったBittyがステージを去ったあとも演奏は続き、ミュージシャンがひとりずつ減っていき、Robbieのベースが最後に残るという演出も見事だった。
 
"Taxi" Riddimは、キューバのソンの名曲「Peanut Vendor」から生まれたというのが定説だ。この曲は、The Skatalitesもカヴァーしているし、日本でも昔から「南京豆売り」というタイトルで親しまれていて美空ひばりもカヴァーしている。この曲から想起されるベースラインを抜き出したリディムが "Taxi" なのだ。このリディムを応用したレゲエの曲は70年代からあり、さまざまなプロデューサーが使ってきたが、Sly & Robbieの「Unmetered Taxi」(81年)という曲で完成したため、"Taxi" Riddimと呼ばれるようになった。06年に "Taxi" Riddimを使ったBuju Bantonの「Driver A」がヒットして(この曲のリディムはSly & Robbie産ではない)、再び注目されるようになっていた。それだけに、ここぞという感じで出してきたBittyの「Lately」は、さすが本家と唸るしかない快打だった。
 
「Bujuの"Driver A"以後、またみんなあのリディムでやりたがるようになった。私たちはどんなリディムでもリプレイする。元々あったものを進化させるんだ。もちろん、ブラン・ニュー・ソングだって作るよ。『Movin' On』のプロデュースで特に気を使ったのは、Bittyのラヴァーズっぽい持ち味に合うようにしたところ。Taxi Gangでツアーするとき、シンガーは、最近はBittyかCherine Andersonだね」(Sly)
 
Bob Marleyが81年に亡くなったのと入れ替わるように、海外では、Sly & Robbie + Black Uhuruに期待が集まっていた。Sly & Robbieが叩き出していたのはMilitant Beatだ(本人たちによれば「ロッカーズ・ビート」とは呼ばないようだ)。ぼくは当時、ジャマイカ国内ではRoots Radicsが演奏するOne Dropが最強で、対外的にはSly & RobbieのMilitant Beatが最強だと思っていた。
 
「Militant Beatは、あらゆるものにアタックするビート。力がある」(Robbie)
 
Sly & Robbieは、Black Uhuruでインターナショナルな活躍をする一方で、ジャマイカ国内でも精力的に働き、その成果のひとつとしてアイランドから『Crucial Reggae』(81年)というコンピレーションを出した。ここに「Unmetered Taxi」のほか、Mighty Diamondsの「Pass The Koutchie」という忘れがたい曲が収録されていた。
 
90年代も、Chaka Demus & Pliersの「Murder She Wrote」(93年)をヒットさせたことはじめ、フロントラインに立ち続けていた。
 
「私は69年からやってる。初めはロック・ステディだった。レゲエは時代ごとに進化してきて、それに合わせてやり続けてきた。"Pass The Koutchie"はGussie Clarkeに頼まれてやった。元はCoxsoneのリディム、"Full Up"だね。"Murder She Wrote"は、最初にピアノとギターで"トゥン・トゥン・トゥ、トゥ・トゥ・トゥン、..."というパートができて、それにあわせてチャカデマス&プライヤーズが歌を歌って、それに合わせてドラムを入れた。90年代前半はムーヴメント・タイムだったね」(Sly)
 
「70年代はレゲエ、"チキッ、チキッ、チキッ、チキッ、..."って感じ。76年にPeter Toshとツアーしたときから、曲の途中で"ダブワイズ"と言って、ドラムとベースだけになるパートをやるようになった。80年代からはダンスホールの時代だ」(Robbie)
 
「仕事をしたシンガーで特に印象に残っているのは、Dennis Brown、Jimmy Riley、Marcia Griffiths、Junior Delgado、John Holt、他にもたくさんいる」(Sly)
 
「Gregory Isaacsとプレイしたやつで、クレジットされなかったのがあったな」(Robbie)
「Sly & Robbieが40年間トップに居続けた秘訣? それは自分でも判らない。常に違うやりかたで新しいことをやっていたからかな。なぜ外国のミュージシャンから次々にオファーがくるのかも判らない」(Sly)
 
「今までにプロデュースしたのは20万曲以上。もう何曲だか判らない」(Robbie)
 
20万曲以上というのはさすがに計算が合わないが(1日1曲だと500年以上かかる)、驚異のペースでレコーディングしている状態は続いている。Amp Fiddlerと共演した『Inspiration Information, Vol. 1』(08年)から、青山テルマの歌でヒットしたSouljaの「そばにいるね」のカヴァー「Hurry Home」を含む『Amazing』(08年)、果てはJポップのカヴァー集『Jパラダイス』(09年)まで、ハイペースで出し続けている。
 
書くスペースはないが、個人的には、Serge Gainsbourg、King Sunny Ade、Tiken Jah Fakolyとの思い出を聞けたのは収穫だった。
 
それよりもなによりも、Sly & Robbieと間近に接して、真にレジェンダリーなミュージシャンだけに抱く畏敬の念が、自然に湧き上がってきたことを記しておくべきだろう。

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