Dubwise Revolution
Riddim 300th Issue presents MUTE BEAT ONE NIGHT LIVE
Text by Shizuo "EC" Ishii
長くやってればいいわけでもない。いや、Riddimのことです。今年で25年、今月で300号になってしまった。ここはひとつ身を引き締める為にも何かイベントでもやらないとな。1年も前からあれこれ考えていたのだが、良い案が出ないまま今年になり、遂に2月になり「もうやめようぜ!」ということになってきていた。なぜならどんなビッグ・アーティストのコンサートをやろうとも、我々はプロモーターを目指しているわけではないから、大した意味がない。個人的には初めてブレークビーツをプレイしたというジャマイカ系のクール・ハークを招聘してレゲエ&HIP HOPのパーティでもいいかなと思っていたが、もはやビザだって取れやしない。
そんな時、北中正和さんが書いた『Jポップを創ったアルバム』という本が平凡社から届いた。その本は1966〜1995年までの30年間の膨大なアルバムの中から69枚のアルバムをピックアップしたものだったが、その中にMUTE BEATの『FLOWER』が取り上げられていた。とても良く書かれたその紹介文に気を良くし、早速こだま君に電話をした。
次の週になると、こだま君が「たまには行かないと道を忘れるよ」と缶ビールで喉を湿らせつつOVERHEATに現れ、話を聞いたのが前ページのインタビューである。話し終わって、軽い気持ちでRiddim300号イベントの話しついでに「どう?MUTE BEATでライブをやってくれない?」と聞いてみた。計算してこんな事を聞けるわけがない。すると、「ええっ、」としばらく絶句した後、「う〜〜〜ん、いいですよ」と言ってくれたのだ。聞いた本人がビックリだ。正直なところ、この時点ではやれると思っていないから、その日は誰にも電話していない。
翌日の夕方になってようやく六本木インクスティック時代のMUTE BEATのメンバー、つまり松永孝義、増井朗人、朝本浩文、DMX宮崎に電話をした。驚くべき事にここまでの5人の答えが「いいですよ」だった。こうなるとずっと電話がつながらなかった一番最後の豪太の返事が聞きたくてマジでドキドキ。だが豪太も「おめでとうございます、いいですよ」だった。しかしだ、返事と現実的にやれるってことは違う。MUTE BEATの全員が現役ミュージシャン。しかもそれぞれがポリシィあるプロジェクトを抱えている忙しい連中だ。『Riddim』がやりたいのは3月。もう1ヶ月しかない。そんなアホなのである。そこいらのイベントと違うのはバカでも分かるが、やりたいと声をかけて、全員OKなのだから一度OVERHEATに集まってもらって本当に実現できるのか先ず顔合わせをするしかない。この時DMXからも「1回集まったほうがいいよ」と電話あり。しかし最初のミーティングの時間調整だけで1週間が必要だった。
その日は2月13日。時間は昼12時。この日のこの時間しかスケジュールが合わなかったのだ。次々に現れた6人のサムライ。全員が顔を合わせるのは89年以来だから20年ぶり。いや豪太は86年にロンドンに渡っているはずだから23年なのか?
久しぶりの戦友との再会は少しばかりの照れもある。あの頃ビシッと気合いを入れあった様々な思い出もある。「みんな変わってないね」と笑顔が出る。記憶力が無くなったはずの頭の中にグワーっとフラッシュバック。DMXが原宿にあったモンクベリーズでHIP HOPやトラブル・ファンクを廻していたシーン、、、レコーディング中にいなくなったワーカホリックの朝本を探したらトイレの中で爆睡していた、、、S-KEN、じゃがたら、トマトス達との東京ソイソース、スパイラル・ホールでのGladdy、クアトロ・オープン記念でのローランド・アルフォンソとの共演、渋谷公会堂ワンマン、パブロとのレコーディング、六本木インクスティックのライブを見ているオーナー松山勲さんの顔、SF、LA、 NYにもツアーしたっけ。
さあ本当にやるのかやれるのか? 20年のブランクでお客は来るのか? だって30歳以下の人達はナマを見た事が無いんだぜ。宣伝する時間だってない。そんな問題もある。それより何より「みんなちゃんとミュージシャンをやってるんだから、今さら中途半端な再結成なんてイヤだ」と宮崎の正論。それはオレだって最初から分かりきっているが「Riddim300号のために一晩だけ集結して欲しい。イメージはMUTE BEATワンナイト・ライブ、事実オレもまたあの音を今聞きたい。300号記念には他のどんなアイディアもかすんでしまう」と食い下がる。こだま君が「石井がやって欲しいと言ってるからやるんだ」と言ってくれて殆どの人が納得してくれたようだった。そして、突然こだま君が当日のソング・リストのアイディアを書いた紙を差し出す。そうだ、いつもこだま君がライブ直前の楽屋でその夜の雰囲気で手書きしていたリストと同じもの。それもオープニングの曲はこれで、この曲とこの曲はフィルを入れて繋ぐなどというとてもリアルなリスト。それを見たみんなが一気に20年前にタイムスリップ。宮崎がイントロを口ずさむ。「リハなんていらない」と誰かが言う。現実になった瞬間だ。こいつらはガンコものでプロ。筋金入りのプロ中のプロ。分かっちゃいたが軽い気持ちじゃできねえ。
気持ちはひとつになったが、3月に音が良いクラブで空いてる所があるか。スケジュールが合うのか。全員のスケジュールに加えハコのスケジュールだ。いくら楽天家のオレといえども心の中が重くなってきた。その時ポケットのケイタイが鳴り、3月こそ無理だったが4月2日にリキッドルームが取れて全員のスケジュールもピッタリ。もちろんリハのスケジュールも取れた。コレが最初の奇跡だ。
彼らの曲をメンバー以外だったら多分オレが一番多く聞いているはずだ。音を出す才能に恵まれてはいても、そこには出す理由が必要な一筋縄ではいかない男達がMUTE BEAT。昔の曲をセルフカヴァーして喜ぶような単純な奴らではない。そしてハッキリ言わせてもらう。一番見たいのはオレだ。もうひとつの奇跡を起こしてもらおう。