Dubwise Revolution
Yann Tomita
Text by Shizuo "EC" Ishii
ヤン富田が作り出す音楽の魅力は、『Music For Astro Age』を始めとする本人名義やドゥーピーズ名義の作品、そしていとうせいこう『MESS/AGE』やToruman『友情』といった彼がプロデュースしたりミュージシャンとして関わった作品を聴けば確認出来る。そんなあらゆる音楽を広い視野で捉えた上で自己表現を続ける稀代の音楽家ならではの視点でDUBを語る。
まずは、『Riddim』25周年、通算300号おめでとうございます!
92年に『Music For Astro Age』を出した時に、『Riddim』で3回連続で特集をやって頂いたんですよ[※編集部註/92年12月〜93年2月にかけて掲載。現在は06年にアスペクトから出版されたヤン富田の書籍『フォーエバー・ヤン ミュージック・ミーム1』にて全文を読むことが出来る]。当時、確か脱サラしたばかりの工藤(晴康)氏がインタビューして下すって。その時にキング・タビーの話になってね、その流れでライヴ・エレクトロニクス・ミュージックのことを述べたんです。DUBのルーツとしてライヴ・エレクトロニクス・ミュージックを関連づけて語った人は多分、それまでいなかったと思うんです。現代音楽の作家でジョン・ケージだとか(カールハインツ・)シュトックハウゼンとかの流れが40年代前半からあって、その潮流の中にライヴ・エレクトロニクス・ミュージックがあって…。
レゲエやDUBといったジャマイカの音楽がヒップホップのルーツだからとか、多くの音楽のルーツみたいなことを言う人もいるじゃない? ジャマイカ音楽の熱狂的なファンが、そういう風に言いたがる気持ちは分るけど、でもちょっと言わせてもらうと、必ずしもそうではないんだよね。そういう見方をしちゃうと凄く通り一遍のつまんないことになっちゃうと思うんだ。じゃあ、それらの話をする前にまずは電子音楽から説明しとこうかな。
僕は、電子音楽というのは、電気を使って新しい音楽を創造する“姿勢”を持った音楽のことと位置づけてます。一方で、電気を使えば、例えばシンセサイザーとかを使って作った音楽だったら何でも電子音楽になるのかって言ったらそうではなくて、電気をただ単に使った音楽は正確には「電気音楽」というふうに位置づけてます。つまり電気を使って、今までに無い音楽表現を模索すると言うか追求する“姿勢”を持っているかいないかで「電子音楽」(ELECTRONIC MUSIC)になるか「電気音楽」(ELECTRIC MUSIC)になるかなんです。どちらが優れているのか、といったことではなくてね。電子音楽とは、そういうことで、ストリートやクラブから派生した音楽、DUBに限らずヒップホップやテクノ、ハウス等々も電子音楽の体系の中で位置づけることができるんです。そういった体系の中で、例えばDUBに接すると、いままでとは違った音が、或は気づかなかった音を発見できるかも知れません。そういったことで可能性は新たに広がっていくんだと思います。
それで、ライヴ・エレクトロニクス・ミュージックと言うのは、電子音楽の生演奏ということです。
例えばブラス・クインテットの編成にマイクを立てて、作家がミキシング卓のところに座る、そして卓やエフェクターを操作して電子変調する。それはライヴ・エレクトロニクスの作品なんだけど、正にジャマイカでキング・タビーがDUBとしてやってたことと方法論としては同じなわけ。ただし、92年当時も言ったんだけど、ジャマイカのDUBはダンスホールがあって、しかもそれが野外で行われてて、さらに政治状況も反映されてあの形が形成されていったと思うのね。そこは全くの突然変異だと思うんだ。
あとはドラッグだね。これもそういう流れをひも解いて行くと50年代のビート(ビートニク)があって、LSDが出来て。要するに人間の可能性を追求する道具として化学薬剤のLSD-25が開発されて、それを使って人間の意識を拡大していこうという運動があったわけ、サイケデリックっていうね。それは、当初快楽を求めるものとして存在したわけではなかったの、だから66年に規制されるまでは合法だった。意識の拡大、人間の可能性の追求ということで、そういう時代に電子音楽家もそれを体験して実験をするわけ。音楽の製作現場では、ミキシング卓が“楽器”としてクレジットされたりしていくわけ、60年代中後期の幾つかのサイケデリック・アルバムにはね。演奏自体はロック・ビートによるものだけど、それは正にタビーがDUBでやったことのルーツみたいなことで、関連づけて言うとね。もちろんレゲエのビートじゃないから、そこは違うんだけど、実はそういう繋がりがあるんだ。
で、さっきも言ったけど、92年の『Riddim』誌上でそういう発言が出来たっていうのは、僕にとってはエポックであったかな。ホルガー・シューカイが98年の『モジュレーション』って映画[※編集部註/イアラ・リー監督による98年制作のアメリカ映画。一言で言えば電子音楽の進化の歴史を振り返るドキュメント映画]の中で「シュトックハウゼンがDUBの創始者だぜ」みたいなことを言ってるんだけど、シューカイは元々シュトックハウゼンの弟子筋にあたるからそういうのもあったんだろうけど、正確にはケージの方が先駆(40年代初頭)だったと思います。それで、そういった発言は、公式的には『Riddim』が最初だったかな。アカデミズムではなくて、真に進歩的なストリート・マガジンで発言できたことに僕は誇りをもってます。そうは言っても僕は、タビーのこと好きだからね。DUBはとかく専門領域の話になっちゃうんだ。機材の話になったり、研究してそのサウンドを追求していくと、作品を聴いた時にタビーか、(プリンス・)ジャミーか、サイエンティストか分るようになる。タビー没後、未発表音源が大量に発売されたけど、その中には明らかにタビーのミキシングでないものも混じってた。そうゆうことが解ってくるの。ジャンルとかとは関係なく音と対峙する形でそうゆう付き合い方をすると、色んなことが見えてくる。その面白さも広がってきたりするんだよね。音楽とはそういう付合い方をすると更に面白いと思います。