Burn Down
Interview by Takashi Futatsugi / Photo by Kurofin
大阪・泉州で育んで来たレゲエ・スピリットを武器に全国のファンの心をがっちりつかんで離さないサウンド、Burn Downがレーベル、South Yaad Muzikを立ち上げたと思ったらいきなりプロデュース・アルバムを2種類同時にドロップ。早速MakotoとMizoguchiに話を聞いた。
●Burn Down結成のいきさつを。
Makoto:何かもう自然な流れでしたね。同じ中学で、自転車でお互いの家を行き来出来る距離に住んでて、レゲエにハマりだしたんも同じ頃ですね。Mizoguchi、Ryota(エンジニア)とはそんな感じで、Kazuはレゲエを通じて知り合って。彼は'02年に入ったんですよ。
Mizoguchi:僕らは地元が貝塚で、Kazuは隣の泉佐野なんですよ。で、知っての通り、祭が盛んな土地なんで、青年団の寄り合いの後で「クラブ行こか!」となると“レゲエ”が定番で。だから多分、初めてレゲエを聴いたんも、先輩の車とかで。何やコレめちゃヤバいやん、って聴き始めて1年位でBurn Downに(笑)。
●泉州は本当にレゲエが根強いエリア、って印象がありますよね。
Makoto:ブームを感じさせへん街、なんですよね。僕らがBurn Down始めた96年頃から考えてみても、それ以前からBoogie(Man)さんや他のアーティスト、サウンドもやってはった訳やし。今はもっと数も増えてるとは思うんですけど、いい意味で変わってないですね。
●サウンドと言えばRed Princeの存在も大きかったんじゃないですか?
Makoto:それはめちゃ大きいですね。実際、僕らが大阪(市内)でやれるようになったのも、Red Princeの皆さんと知り合って、連れてって貰えるようになってからですし。アーティストもBearmanさん始め、皆さんと親交を深めさして頂いて。あとはやっぱり堺のTerminator、大阪のRock Desire、Killasan Movementがみんな好きでした。
Mizoguchi:向こうだとベース・オデッセイ、キラマンジャロ、ブラック・キャットとか…。
●因みに初の渡JAは?
Makoto:結成して間もなく、ですね。
Mizoguchi:初めて録ったダブはブジュ(・バントン)でした。
●Burn Downはバッドマン・サウンドという印象が一般的ですが、個人的にはオールラウンダー集団という気がします。自分達ではどう思います?
Makoto:ありがとうございます! 僕らもそのつもりでやってるんで。でも中々そう見て貰えなくて(笑)。
Mizoguchi:クラッシュを含めてサウンドとして表現出来ることは全てバランス良くやりたいんで、それが伝わってたのは嬉しいですね。
●逆によく言われるのは?
Makoto:やっぱり迷彩のイメージとか、炎、戦車、ガン・フィンガー…ブリッブリッ!とか、ですね(笑)。
Mizoguchi:「Osaka Cup」(2001年)の時にアーミー系で揃えてたから、その印象が強いかも。
● ターニング・ポイントとなった出来事となると?
Mizoguchi:やっぱ「Osaka Cup」ですね。そこから色々繋がっていったし、全国にも呼んで貰えるようになりましたから。
Makoto:何が、となるとやっぱりそうですね。2001年から大きく変わりました。その年の「Highest Mountain」に出たり、次の年の「横浜レゲエ祭」にも呼んで貰って。その後だと「Real Crush」(2005年)の優勝も大きかったですけど。
●サウンド・システムを揃えたのは90年代後半?
Makoto:98年、ですね。りんくうのジョグリン・シティがなくなる時に買わせて貰って、それに手を加えて…って感じで。当時はとにかく働いて、スピーカーとダブに金をつぎ込んでました。
●今回、念願のレーベル“South Yaad Muzik”を立ち上げた訳ですが、やはり“サウンドのレーベル”という部分に一番拘ってますか?
Makoto:そうですね。事務所も貝塚ですし、地元発信は拘りの部分ですね。正直、昔引っ越そうかなと考えたことはありましたけど、離れられへん、というか。土臭くて、人間臭くてめっちゃいい所なんで。
Mizoguchi:初めてJAに行った時も、何か似てんなーと思った位で(笑)。レーベルとしてはやっぱり“自分達がかけたい曲”を出していきたいし。他のサウンドにもかけて欲しいし。そこは目指しましたね。今も、もう早くかけたくてウズウズしてる位です(笑)。
●Vol.I、IIと合計4つのリディムを新調した訳ですが、トラックメイカーがダン(ドン・コルレオン)、クリストファー・バーチ、スティーヴン・マクレガーと“皆が歌いたがるトップ3”を起用してますね。
Makoto:やっぱりそう思いはります?(笑) とにかく好きな音で…となると自然とこうなりましたね。Kazuと僕でJAに行って、それぞれのトラックメイカーと一緒に作ってきたんですけど、余りにも何回も聴き過ぎて判断つかんようになった時にはMizoguchiに電話して…。
Mizoguchi:どれも間違いなく、電話越しに僕のハートをブチ抜いてくれましたね(笑)。基本、イケイケとミディアムの組み合せでVol.I、II両タイトルで行きたかったので、上手くまとまりました。
●各トラックメイカーの作業の印象を。
Makoto:“Burning”を作ったダンはとにかく恥ずかしがりで、出来上がるのを待って「おお〜っ!」って感じでした。“Jonkanoo”路線の現場ウケいい感じを狙ってたからバッリチかな、と。バーチはとにかくデカくて(笑)、日本によく来てるから話も早いし、作る時間も早かったですね。(Vol.I前半の)“Rolling”は皆からも「Burn Downっぽい」って言われますね。あとミディアムの“Holiday”は、上物をどうしようとか色々話し合って完成しました。スティーヴンの“Home Town”は、ワン・ドロップ系で、ボブ・マーリィの「One Love」みたいな雰囲気が欲しくて。スタジオで、あーでもないこーでもないと時間をかけて出来上がったものです。彼はもう天才ですね。しかもめちゃ忙しそうでした。
●アーティストの人選で苦労したところは?
Makoto:正直、アルバム2枚でも入れたい人全員は入り切らない位なんで。基本、泉州のアーティストや繋がりのある人重視ではあるんですけど、ダブ録りより前に参加して貰った人もいるし。あと地元で頑張ってるNatural Weaponとか若手もなるべく紹介したいな、というのもあって…。色んな意味でBurn Downらしさ、バランスの良さは考えましたね。あとは“泉州”の名前が全国に広まってくれれば。
●その意味でもメジャーで広く展開する意義を感じましたよ。
Makoto:出すからにはメジャーで、とかは最初は考えてなかったんですよ。自分等でシングル切っててんってぐらいで。でも、やっぱりMJRやSunsetを見ていて、ビクターさんは皆信頼おいてるし、現場もよく見て貰ってるし、何より担当の人がBurn Downのスタイル、色をよく理解して下さってて、そのままやってもいいという事やったんで。本当良かったです。
●リリパも年末にありますよね。
Makoto:自分ら仕切りでのバンド・ショウなんで正直、テンパってます(笑)。でも、期待してて下さい。
Mizoguchi:サウンドでのリリパはありこちでやりたいですね。アルバムはとにかくヤバい曲ばかりなんで、チェックして欲しいし、現場に聴きに来て欲しいです。
"South Yard Muzik Compilation Vol.1"
V.A. produced by Burn Down
[Victor / VICL-62651]
"South Yard Muzik Compilation Vol.2"
V.A. produced by Burn Down
[Victor / VICL-62652]