Wayne Smith
Under Me Sleng Teng
Interview & Photo by Shizuo Ishii / Translated by Ichiro Suganuma
「Under Me Sleng Teng」と言えば、知らなきゃモグリの1985年のモンスター・ヒット・チューン。そしてそのリズム・トラック“Sleng Teng”が誕生した前後でレゲエ・ミュージックはヒューマン・トラックとデジタル・トラックとではっきりと別れるのだ。この名曲のオリジナル・シンガーとして知られるWayne Smithがこの曲/トラックの誕生秘話を語ってくれた。レゲエ・ファン必読。
1965年にジャマイカのWaterhouseで生まれ育ったんだ。Firehouseとも呼ばれるけど、本当の名前はWaterhouse。この街からはBlack UhuruとかWailing Soulsが育ったんだ。Junior ReidもWaterhouseに居て、いつも連絡しあっていたんだ。Hugh Mandellもよく来てたし、Lacksley Castell、Eccleton Jarret、Robert Leeもね、皆一緒に育ったんだ。あとKing Tubbys Studioもここにあったから殆どの若い奴らはよく行ってたよ。この街で音楽を聞いて、サウンド・システムも体験した。そして自然と歌うようになったんだ。
最初のレコーディングは、Harry Jの所で録った「Once A Night Girl」。
King(当時はPrince)Jammysはその頃、イギリスに行っていたんだけど、ジャマイカに帰ってきた時に、俺の周りの奴らが「Wayne Smithっていう歌のうまい奴がいるよ」って言ってくれて会う事になったんだ。それ以降はJammysとリンクするようになったね。確か1981年にレコーディングの話が来て「Life Is The Moment In Space」を録ったんだ。その後83〜84年になって「Ain't No Meaning Say Good Bye」をリリースした頃から皆が俺の曲に耳を向けるようになったんだ。その次のヒット曲は「Come Along」だね。俺とBobby DigitalがJammys Studioで録ったんだ。そして俺とNoel Daveyが「Sleng Teng」を作ったんだ。その後、それにJammysがクラップを入れたんだ。そしてそれがヒストリーとなったんだよ。
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Noelとの出会い? 俺が家の前のフェンスに座ってた時、突然彼が尋ねて来たんだ。誰かが彼に「近所にWayne Smithって言うシンガーがいるよ」って紹介したらしくて会いに来てくれたんだ。彼もWaterhouseに住んでいたようだしね。で、Noelが「俺、リディム作るのが好きなんだよ、今度イギリスからキーボードを手に入れるんだ」って言うから俺は言ったんだ、「キーボードが届いたら教えてくれよ、リンクしようぜ」ってね。そして彼と初めて会ってから8ヶ月位過ぎた頃かな、遂にオモチャみたいなキーボード「カシオトーン」が届いたんだ。触ったら面白くてね、2人で色々試したよ。
そしてある日の事、Noelが俺の所にキーボードを置いていったんだ。俺はただ遊んでたんだよ。そしてあるボタンを押したら「♪ドゥドゥドゥドゥドゥドゥ」って音が鳴ったんだ。そしてその音をゆっくりにしたところで、ちょうどNoelが戻ってきてビックリしてるんだ。「その音、どうやって出したんだ!?」ってね。だけど、俺はただボタンを押しただけだったんだ、分かるだろ? その後、Noelはずっとその音をいじって楽しんでたよ。
でも、その次の日。またその音を探したんだけど、どうしても見つからないんだ。「え〜どこ行った? どうやって出したんだっけ?」ってね。でも、その何週間も後になって、Noelがあの音を見つけたんだ。彼が家の前で友達と色々と試している時にね。その友達が「ウェイン! Noelがあの音を遂に見つけたぞ!」って伝えてくれたんだ。俺はすぐにNoelに会いに行って「Noel、このリディムでレコーディングしようぜ! そうだ、Jammysがイギリスから戻ってきているみたいだから、彼の所に行こうぜ!」ってね。
そしてJammysに「リディムがあるから聞いてくれないか?」って。Jammysは「オッケー、聞かせてくれ」って言ったよ。俺達はキーボードを持ってスタジオに行ったんだ。コンセントを差して、Noelと俺とでスピードを調整した後、俺が歌えるように俺のキーに合わせてね。あと色んなタイプのドラミングがあるだろ? 「トゥッタ♪トゥトゥットゥタ♪」や「トゥ・トゥン・タッタ♪」とかね。俺は俺に合う「トゥッタ♪トゥトゥットゥタ♪」って具合に入れたんだ。
そいつをレコーディングして、Jammysがクラップを入れてリディムが出来上がったんだ。それから声も入れたんだよ、「♪アンダ・ミ・スレンテ〜ン」。みんな言ったよ、「お〜!ヤバいね!」ってね。
Jammysは他の……そう、もうその時に、既に有名だったアーティスト達にもこの曲を聞かせたんだ。でも、何人かは「う〜ん、普通かな。このトラックでは録らないかな〜」って言っててね、俺は言ったね、「なんだよ。この良さが分かってないね。これは新しいんだよ! 新しい事にはトライするべきなんだ!」ってね。でもそれからいくら待ってもリリースされなかった。だから俺はJammysに言ったよ、「このスタジオはあんたのものだろ? 俺はお金をもらってないし、他の奴(多分Noel)にもお金あげないんだろ? だったら、あんたは赤字にはならないんだから、とにかくリリースしてくれ!」ってね。そうしたらJammysが言ったんだ、「今日の夜、ダンスがあるから、まずそこでプレイしてからだ」ってね。だけど、その夜、俺は行かなかったんだ。皆あまりいい反応してくれないって思ったからね。ところがさ、次の日の朝、友達が来て「ウェイン! “Sleng Teng”無茶苦茶盛り上がったよ! まじヤバかった!」ってね。でもJammysはまだこう言ったんだよ、「今度イギリスに行くから、イギリスでもちょっと試してみるよ」ってね。
それから、Jammysがイギリスに行く準備が出来て、“Sleng Teng”をGreensleevesにライセンスしようと思ってた頃、既に他のプロデューサー達が俺達の真似をして“Sleng Teng”トラックを作ってるって噂話を聞いたらしいんだ。するとJammysは急いで色々なアーティストに “Sleng Teng”でレコーディングしてもらわなきゃって思ったみたいだよ。
この“Sleng Teng”は皆そこまでイケるって思ってなかったみたいだね。でもこのリディムは本当に大、大ヒットした。俺達はこのリディムには自信があったんだ。あの時の事は本当に人生で忘れられない事件だ。音楽は俺。俺は音楽。人生はただ自然に流れるんだ。だから変化が訪れたらその変化に応じなければいけないんだ。
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今現在、デジタル・トラックとヒューマン・トラックのどっちが好きだって? う〜ん、俺はヒューマン・トラックかな。でも当時は新しいものにトライしたかったからね。どっちも好きだけど、どちらかを選ぶとなったら、「オリジナル」=「アナログ」を選ぶかな。だって俺は「オリジナル」の中で育ったからね。でも、今の時代は、皆デジタルばかりだね。俺が思うに、一番いいのは2つをあわせるのがいいね。その時代に順応しなきゃいけない事には変わりないよ。もし、時代と一緒に動いて行かなかったら、置いていかれちゃうからね。
「Youthman Skanking」
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