ナイトメアズ・オン・ワックス(以下NOW)は、LFOやオウテカらを輩出してきたレーベル、ワープの最古参アーティストである。そのことからNOWを“テクノ・アーティスト”として捉えてしまうと、彼の新作『In A Space Outta Sound』に渦巻くスモーキー&ソウルフルなサウンドを聴き逃してしまうことになるだろう(またワープ自体も、もはや“テクノ・レーベル”ではない)。一言で言ってこのアルバムは、2006年度版(クラッシュの)『Sandinista!』といった感じの作品なのである。
●ご両親が黒人/白人の方だそうですが、それぞれ何系の方なんですか?
ジョージ・エヴェリン(以下G):母親がイギリス人で、父はセント・キッツ(St.Kits)っていうカリブ海の小さな島の出身だよ(西インド諸島の小アンティル諸島にある、セントクリストファー・ネイビス連邦に属する小島)。
●ご両親の出身地の文化には影響を受けました?
G:うん、そうだね。でも、一番はイギリスで混血として育ったことが大きいと思う。カリブ海以外でレゲエが最初に始まったのはイギリスだし、オレらは自分たち特有の“ブラック・ミュージック”を持ってるしね。
●出身/育ちはリーズですよね。一番最初に出会った音楽がなんだったか覚えてます?
G:そうだね……9歳の頃に体験したサウンド・システムだな。親友の兄貴がサウンドをやっててね、そこでダブを知ったんだ。79年の出来事だよ。
●79年というと、パンク・ムーヴメントが次のステップに進んでいた頃ですよね。パンクには影響を受けました?
G:いや、オレがパンクの存在を知ったのはスカを通してだった。ルードボーイにとってパンクスは天敵だったよ(笑)。クラッシュを知ったきっかけもジュニア・マーヴィンを通してだったし、自分にとってはルードボーイのほうが反逆的だった。オレにとってはパンクなんかどうでもよかったんだ(笑)。
●子供の頃からヒップホップにもハマっていたそうですが、当時もっとも衝撃を受けたアーティストは?
G:DJで言えばグランドマスター・フラッシュとかメリー・メルの最初のアルバムが出た時は衝撃を受けたね。それと、西海岸のほうが動きだした時???ナイツ・オブ・ザ・ターンテーブルズとかエジプシャン・ラヴァー、当時ワールド・クラス・レッキンクルーの一員だったドクター・ドレー??彼らは全く別の惑星から来たかのように思えたもんだよ。あと……アフリカ・バンバータ!
●DJ/ブレイクダンス・クルーのユニーク3での活動を経て、NOWとしてシングル「Dextrous」をワープからリリースすることになるわけですが、この頃NOWは“ブリープ”なるスタイルの象徴と見なされていましたね。
G:ブリープっていうのはロンドンのメディアが勝手に作り上げたジャンルで、オレらには関係なかったよ。オレらは自分たちがどこから来てるかのか分かってたし、当時のアシッド・ハウス・シーンを引っ張ってた人間はみんなブレイクダンスのクルー出身だった。だから、初期のハウスやアシッドものには全部エレクトロの要素が入ってたんだ。
●新作『In A Space Outta Sound』についてですが、ジャケットが印象的ですね。
G:オレが生まれた場所の近所にあるソーシャル・クラブで撮ったんだ。オレの育ってきた場所に戻りたかったんだよ、音楽の旅の原点に戻る意味でもね。それがサウンド・システムっていうわけ。
●このアルバムを作るにあたって大切にしたことは?
G:なによりも制作にあたって正直な気持ちになるのが一番大事。最近は経験と年齢を重ねてきたこともあって、そういった精神的状態になるのが以前よりも楽になってきたね。
●最後に。あなたにとって生涯変わらない憧れのミュージシャンとは?
G:そうだね……ドクター・ドレーはリスペクトしてるよ。シンプルなプロダクションであれだけのことを成し遂げてきたっていうのは凄いよね。あとは、革新者としてみんなを常に驚かせているという意味でマッドリブ。それと、ソングライターとしてはラファエル・サディークだな。
今作リリース後、NOWは日本でもよく知られているUKニュー・ルーツの名ユニット、アイレーション・ステッパーズとツアーを行うことになっている。ヒップホップ〜レゲエ〜ダブ〜ソウルなどを横断しながら、それらをUKブラック・ミュージックの伝統に乗っ取ってチャンプルーするNOW。本誌の読者ならば、確実に感じ入るところがあるはずだ。
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