「褪せない曲の、ベスト盤って言ったら、この10年間のベスト盤とは言えるかもしれない。その間に何曲も練習の途中で止まっている曲があったり、ライヴで一回演奏してそのままになってる曲もあったり。でも、こういった曲の中から、『なんだっけ、この曲? そういう曲あったねー!』って、みんなで言いながら、録音する日にいきなり演り始めて、(テープを)回し始めたら一発で終わりとかね」
オーセンティック・スカ、という言葉を誰が使い始めたのか? 僕自身も使っていた(いる)し、それがオリジナルな、あの白黒のボケた映像でしか見ることの出来ない時代、独特のダンス、スタイル、喜び、エクスタシー、こちらにも転移してくるような熱気、を指しているのなら、別に異論はない。むろん、問題は、オーセンティック・スカかどうかではなく、音楽として興奮出来るかどうか、とうことに他ならない。
チェット・ベイカーのラスト・コンサートの録音が素晴らしいのは、バレンボイムのモーツアルトの録音が素晴らしいのとただ一点で似ている。
それは懐古主義であることを頑なに否定する。
それは現在であり続けることを、人々が再生する度に思い出させる。
指摘したように(もしくは含んだように)、多くの退屈な繰り返しは、冗漫でしかない。人々は、スカの黄金時代が再現出来ないところから始めるべきであり、だからこそ、全力を尽くしてスカの黄金時代のクリームの穂先きを取り戻そうとするべきだ。
こうしたことを考えさせるようになったのも全ては奇蹟のようなスカ・フレイムスというバンドの存在があるからこそだ。僕はその場に最初からいたのではない。ただ、「Tokyo Shot」の7インチをメンバーからもらったのを覚えている。それが、スカをプレイするDJだけではなく、大川氏がインタヴューで話してくれたように、西麻布にあったピカソというクラブを中心に、藤原浩や、松岡徹や、山口司や、藤井悟、ありとあらゆるDJがプレイしていた、というのもある。大体が、ジャーナリストたちが便宜的にジャンルをDJに与えるようになって、全ては退屈になった。ドアが閉められていった。そして、スカ・フレイムスの今度のアルバム『Realstep』は、その閉められたドアを壊して外の世界へ出ようとする。
「その(「Realstep」という)曲は、本当は歌詞があって、歌があって、僕の会社が“Realstep”で、僕がその会社を始めたのも、音源を出したいという気持ちがあったからで、会社を始めないと話も出来ない、というのもあったし、今現在のイメージはもうあったから、そこへ行くために何をするかは分かっていた。遠回りもしたし、『やっぱり違うな』ってぐるぐる回ったりもしたけど、やっぱり『これやな!』ってなった。確実な前進、リアルなステップみたいな意味もあるんやけど、でも、俺らの仲間の中ではもう一つ違う意味がある、スピーカーから出て来る音が、床に跳ねたりとか、壁に跳ね返ったりとか、そういうのをリアル・ステップと言う……」
送られて来た資料には、“20年目のリアルな伝説”とある。そこには藤原浩氏のスカ・フレイムスについてのコメントがある。『日本に残る、数少ないリアルで等身大なバンドのひとつ』、もう一つは、DJの松岡徹の思い出が記されている。少し長いが引用する。『Ska FlamesのLiveで初めてモッシュを起こしたことを今でも覚えている。既に前回のLiveで知り合ったルーディ仲間、小岩君、井関君、長谷川君、ユージ君と、代々木のライヴハウスで、曲は確か“カミンホームベイベー”、もちろんその時は、その喧噪が永遠にパーティの入り口だなんて思っていなかったけれど』
「メンバー間でも、もちろん色々あったりするけど、自分のお兄ちゃんだったり、父ちゃんだったりするわけだし……みんなイメージしているような『20年凄いですね』っていうのは、家族って考えるとあっという間でしたね」
「ライヴもいやいやではないし、メンバーが楽しいのが基本だから。もちろん、お客さんにも楽しんでもらいたい」
いい音楽、と書くと平凡だから、Good Musicと書く、それでも月並みになったら、どう形容詞を並べたらいいのか、飾り立てるのは意味がない。儀式に使われる花じゃない、音楽は。
音楽はいつまでも残る。
スカが流行なのか? スカが亡くなったことがあるか? 誰がスカの葬式をしようとしたのか? それが上手くいったことがあるか? 人々は常にスカを拾いあげ、胸に挿し、ダンスホールに持っていった。『Realstep』は、日本のポップ・ミュージックの歴史に残る。
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