65年間という長い音楽のキャリアを持ち“ゴッドファーザー・オブ・スカ”とよばれていた彼が、人生の幕を閉じた。音楽に対する取り組み方は最期まで真剣で、何歳になってもすごい欲をもっていたと思う。3度来日し、その度にそんな印象を与えてくれた人だった。
こんなエピソードがある。15年位前、ロンドンに行った時、ポテト5を観に行き彼に再会した。次の日、僕が泊まっていたホテルに電話がきて、ブリクストンでレコーディングやってるというので行ってみた。見て驚いた。ヒップ・ホップをやっていたのだ。「日本でヒップ・ホップは流行っているか?」と訊かれたが、僕は「あなたはスカをやるべきだ」と説得した。スカだけではなく最新の音楽全てを常に意識していたのだ。“本当の音楽好き”……そんな印象だ。
ローレル・エイトキンは、キューバ生まれで、その後、ジャマイカに渡り、1940年代からカリプソのシンガーとして音楽活動を始めた(50年代の作品はKaripsoレーベルから何枚かリリースされているので探せば聴くことができる)。その後は皆知っているようにR&B、ブギを歌うようになった。イギリスのレーベル、ブルービートの1番(「Boogie Rock」)から一桁台は殆ど彼の曲だ。60年にイギリスに渡り、ジャマイカとの行き来をしながら本格的にスカをスタート。その後はずっとイギリスに住み続け、イギリスのバンドと共にスキンヘッズ・レゲエを牽引。パマ・レーベルから作品を多数リリースし、「Mr. Popcorn」「Jesse James」「Skinhead Train」などのヒット曲を生み、スキンヘッズ・レゲエの頂点に立つ。
その後は殆ど活動していなかったみたいだが、80年代の終わり頃、我らが兄貴ギャズ・メイオールが彼を探し出して口説き、当時ギャズがプロデュースしていたバンド、ポテト5の2代目シンガーとして招き入れた。それからが彼にとっての第二の人生の始まりだったと思う。ポテト5の初来日の時はまだ“『Trojan Story』(Trojan / TALL-1)の1曲目「Bartender」の人”ぐらいにしか思わなかったが、その後、ネオ・スカ系のレーベル、ユニコーンから何枚か古い曲のベスト盤をリリースした頃から徐々に知名度があがり、ネオ・スカ系のバンドと共に世界中を回ったりして、遂には“ゴッドファーザー・オブ・スカ”と呼ばれるようになったのだ。
最近リリースされ最期のアルバムとなってしまった『Superstar』は、未発表曲を集めたもので、おそらくローレル・エイトキンの空白とされている時期、70〜80年頃にレコーディングしたものだと思う。聴いてみると分かるが、内容もレゲエ、ソウル、バラードと今までやっていないようなジャンルに挑戦している貴重な音源だ。この時期は迷いながらも色々なものにチャレンジしていたのかなと思う。そのうち前に書いたヒップ・ホップの曲もリリースされるのだろうか?
最期まで忙しく世界中をまわっていたローレル・エイトキン、ゆっくり休んでください。
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