11/12にDVDとしてリリースされる映画『KLA$H』が撮影されたのは、90年代前半のダンスホール・レゲエの第一期全盛期だった。それはシャバ・ランクスが世界制覇、パトラとコブラがアメリカへメジャー進出し、ジャマイカ国内ではバウンティ・キラーが頂点を極めようとしていた。実はこのアーティスト全員をマネージ/プロデュースしていたのがバブジとスペシャリストがやっていたシャングというプロダクション。つまり音楽シーンがドキュメンタリータッチなのはジャマイカ現地最強チームがこの映画の音楽面を担当していたからである。この頃、今回の原稿執筆者であるPapa U-Geeは、2年間のレゲエ修行のためキングストンのゲットー在住だった。
「やったー! ラッキー、そんないいバイトがあるのか」と、はりきって映画『KLA$H』のエキストラとしてキングストンのナショナル・スタジアムに行った(俺が映ったのは2、3秒だった)。
そこにはデカい撮影用のステージが組まれていて、前に行った「スティング」でのニンジャとシャバのクラッシュの時を思い出した。ロケといっても、ステージ・ショウに出てくるエンターテイナーは本気でマショップしていた。シャバ、バウンティ・キラー、コブラ、ケイプルトン、ニンジャ辺りは凄く盛り上っていた。映画のシーンにはなくなっていたが、カティ・ランクスがピンクのスーツで出てきたのが一番格好良かった。また客の中にRub A Dub全盛の頃のDee Jay、ダディ−・シャークやダディ−・アンツなんかも出演していて、アンツはマシンガンをぶっ放す役で、ラスタマンなのに妙に似合っていた。
当時の現地ダンスでは、シャバが王様でバウンティがぐいぐい上がってきてた頃で、ガン・チューンが多く、シーンの中でもドンパチが結構出てくる。それは当時のキングストン社会をよく現している。一方ケイプルトンは、ラスタ・メッセンジャーになり始めた頃で、そんな彼のパワフルなスタイルも見ることができる。サウンド・システムは、キラマンジャロのリッキー・チューパが走りまくって島中を揺らしていた頃で、この頃からハードコアなサウンド・クラッシュが多くなっていた。またストーン・ラヴなど、ジョグリン・サウンドも盛り上がっていて、ハウス・オブ・レオのレギュラー・ダンスは毎週行ってたけど、かなり楽しかった。ボーグル率いるブラック・ローゼスが30人位で、3時位に来てビールをケースごと足元に置き、場がひっくり返った位に粋に踊り、ダンスのヴァイブスをあげていた。
この映画は、そんな90年代前半のダンスホール・シーンがリアルに映し出され、プロモーターからプロデューサー、レーベル、ラジオ局、アーティスト、サウンド・システム、レゲエに関わっている人々(日本も含む)が躍動的に動いていた頃のもので、ジャマイカの新しいカルチャーを外に伝えようとしているジャマイカンの本気さも伝わってくる。その「レゲエを世界に」というジャマイカンの気持ちがあったからこそ、ダンスホール・スタイルが現在、インターナショナルなものになったのだろう。
因みに俺はその頃、Jap Jamで「とっぺーギャングスタ」をリリースした頃で、日本のシーンも同時に動き出していた。それも90年代前半のジャマイカのシーンからの影響が強かったと思う。Big Up To シャバ、ニンジャ。本当に楽しんだバイトだったけど、お陰様でダンスホール・モデルのかわいこちゃんと知り合えたし、Ghettoに住んでたので、手に入れたギャラは即あこがれていたクラークスの靴に変えました。ありがとう『KLA$H』。
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