我らがファースト・レディー、レディー・ソウが還って来た。『Strip Tease』と名付けた5作目は、自分のセクシャリティーから内面の葛藤までを、最新のリディムに乗せて余さず露出した力作、傑作だ。キングストンでチルしている彼女を、電話でキャッチした。

フル・アルバムとしては6年振りのリリースとなった理由は? 「2年前に一度仕上げたんだけど、VPレコーズの都合で発売が遅れてしまったの。まぁ、おかげで私もぐっと成長して、リリックの内容もデリバリーの仕方もずっと良くなったけど。前に作ったのはお蔵入りにしたから、全部ブラン・ニューよ」

タイトルこそあなたらしいけれど、“Just Being Me”“My Dreamz”“Dedicated to Mama”など、これまでになかったタイプの曲もありますね。 「ここしばらく色々な体験をしたからね。“Just Being Me”は、仲がいいと思っていた女性アーティストから実は陰で悪く言われているのが分かった時に作った曲。このアルバムでは私のすべてを見せている。私の夢や闘い、幸せ、全部をね。いい時も悪い時もファンのみんなとシェアしたいから」

その女性アーティストとは、タンヤ・スティーヴンスのこと? 「名前は挙げないけど、一人だけじゃない。長年、後輩だと思っていた人達なんだけど…。私をトップの座から引きずり降ろしたい人は多いわ」

リリックの鋭さはピカ一ですよね。どんなことからインスピレーションを受けます? 「幸せな人達、恋愛関係…そういうことを書くのが好きね。自分自身の経験も書くし、ほかの人に“こういうことがあったんだけど、曲にしてよ”って言われることもある」

“Loser”のコンセプトは女性に共感を得やすいと思います。 「あれは元々セシールの曲で、彼女が先にアメリカで流行っていたLサインをヒントにして書き始めたの」

英語の率を増やしたのは、マーケットの動きを読んでのことでしょうか? 「その通りね。フロリダで美容院に行った時、ラジオからダンスホールがかかってきて、隣の女性が“何を言っているか、さっぱり分からないわ”って言ったの。ジャマイカでは英語とパトワの両方を使っているけど、やっぱり分からないんだって悟って意識的に増やした」

今年のサンフェスではベスト・パフォーマーの一人だったと思います。ベッドを持ち込んで登場したのも凄かったですし。 「サンフェスは言葉の規制が厳しくて、エネルギーが削がれるのが問題。ステージで言葉に気を付けながら歌うのはキツイよね。あのベッドだって、本当はカッコいい男性と一緒に入っていたかったんだけど、騒ぎになるとマズイと思って自粛したの」

カースワードは絶対ダメ、というか逮捕されるのに、エレファント・マンがキワドイ女性をステージに上げてもOKというのが解せなかったのですが…。 「え? ゴスペルを歌った女性のこと?」

そちらではなくて、もう一人、下着を付けていなかった女性の方です。 「えー!! それは知らなかった。私のセットでそれをやっていたら大騒ぎになったわよ。衣装の丈が短かっただけでラジオで悪く言われたんだから。男女によるダブル・スタンダードの典型よね」

ビーニ・マンとの“Healing”のデュエットは急に決まったの? 「プレス・ルームでインタヴューをしている間にあの曲のイントロが聞こえてきて、慌ててステージに駆け付けた。ビーニ・マンはいつもあの調子だから、慣れているけど(笑)」

新作に参加しているプロデューサーは? 「スライ&ロビー、ジョン・ジョン、ドン・コルレーン、デイヴ・ケリー…他にもいたけど、30曲から選んだから忘れちゃった」

ジョン・ジョンはボーイフレンドですよね? つき合ってどれくらいになります? 「9年。ほかのカップルみたいにうまく行っている時も行っていない時もあるけど、今は落ち着いている。たった一つ問題があるとすれば、私に対して厳しいこと。こっちがベスト・テイクだと思っても、注文をつけてもう一度、って言うのよ。ほかのプロデューサーはそんなことしないから、もうあなたと仕事するのはイヤよって言ってやった(笑)」

恋愛関係をうまく保つ秘訣を教えて下さい。 「だって、私はグッド・ガールで……レディー・ソウなのよ。リリックの通り“いい”に決まっているじゃない!(爆笑)」

レディー・ソウの次の目標は? 「たくさんアルバムを売ること。そのために、インタヴューやツアーも熱心にしている。以前はほかのアーティストと同じように遠い場所に行くのを嫌がったり、プロモーションに熱心でなかったりしたけれど、それではダメだとショーン・ポールから学んだの。彼は目先のお金に囚われず、機会があるごとにプロモーションをしていまの成功を勝ち取った。私のステータスは上の方だけれど、さらに上を目指したい。ネクスト・レヴェルに行って、それから子供を持ってゆっくりすることを考えるわ(笑)。日本は大好きだから、絶対にまた行くつもり。みんなに待っていてね、って伝えてちょうだい」

Memories Of Lady Saw -------------------
Text by Shizuo "EC" Ishii

 彼女との最初の出会いは、OVERHEATが主催していた『レゲエ・スーパー・バッシュ』の93年の出演者を物色していた時にヒトミちゃん(グラマラス)がジャマイカのニューネーム・スタジオで座り込んでいたのを紹介してくれたからだ。レディ・ソウ、24歳。既に決定アーティストはイエローマン、タイガー、サンチェス、ザ・マイティ・ダイアモンズ、スリラーU、ルイ・カルチャーで、バックはデリック・バーネット率いるサジタリアス・バンド。そこにローカル・ヒットを2曲くらい出していたアップカマーのレディ・ソウを最後の一人に加えた。

 彼女の来日を決めた迄は良かったが、何とアメリカ入国のヴィザが下りない。キングストンにあるアメリカ大使館の窓口で書類を見ようともしないのだ。日本側の書類はチケットも買ってあり完璧。既に日本の法務省関係の書類も全てクリアしている。だが、ジャマイカの若い女性が日本に行く為であっても、アメリカ経由だからヴィザが必要となるが、逃亡して不法滞在者になるからというメチャクチャな理由で受け付けてくれないのだ。仕方なくその日の内にカナダ経由でエアー・チケットを買い直して、彼女だけ別便で日本に送り込んだ。東京、大阪、名古屋で行った『スーパー・バッシュ』でのソウはイエローマンやダイアモンズ等のベテランに混じってフレッシュでキュートなステージを繰り拡げ、将来のビッグ・アーティストの片鱗を見せてくれた。         
 無事全てのショウを終えてジャマイカ人全員を成田まで送って行き、ソウだけは来た時と同じようにカナダ経由で出国手続きを取ろうとしたら、今度は何とカナダのヴィザが切れているではないか。悪いことにゴールデン・ウイーク中でカナダ大使館もクローズときている。「ゆっくり1週間くらい日本にいるんだね」とオレが言うと、他のジャマイカのアーティスト達は帰れるのに、自分は帰れないと泣いてしまった。これを見ていたのが、今はポジティブ・プロダクションのやり手女社長になっている佐川。「かわいそうですよ、何とかアメリカ経由で帰してあげましょうよ」と言い始めた。当時はヴィザがなくても航空会社に依頼してアメリカでホテルから逃げないようにセキュリティを雇えば、乗せてくれると言うシステムがまだあったので、無理をすればできなくもない。でも日本のホテル代の方が安いナ〜と地味なことを考えながらも、女の涙ともう一人の女の熱意にうながされ、オレは「セキュリティ代に加えて、またチケットを買うのかよ」とガックリしつつアメックスにサインをしてしまった。

 それから何度もジャマイカで、ラッパーのようにデカいトラックをドライヴしているソウ、他の島にショウに出かける空港のソウ、スタジオでレコーディングするソウなどを見かけていたし、ヒット曲も連発していた。そんな頃、当時のプロデューサーでボーイフレンドでもあったサンパルーとはオレも仲が良かったので、ソウのレコーディングをチェックしていた。故テナー・ソウが好きでつけた名前だから当然シンガーとしてもいける。「ギブ・ミー・ア・リーズン」なんていうのはかなりの名曲。これをプロデュースしていたのがサンパルーだ。ある夜の事。オレの泊まっていたホテルのエレベーターでこいつが他のガールフレンドと一緒にいるところに出くわした。部屋に戻ると電話が鳴り声の主はソウだった。「イシイ、サンパルーが行ってない?」…オレは答えにつまり、「オレの部屋にはいないな」と答える。その時、突然ラジオから流れて来たのが「ギブ・ミー・ア・リーズン」だった。もの悲しいメロディにストリングスが載った「私のどこがだめなの…どうして私ではいけないの、理由を教えて…」という歌詞が流れてきてソウの今の心境を考えると居ても立ってもいられなかった。

 それから、数年してキング・ジャミーの息子であるジョン・ジョンと付き合っていると言う話を聞いたが、まさかと思っていたら、ソウとケイプルトン、サード・ワールド、マキシらと日本をツアーする機会があった。その時ソウのマネージャーとして付いて来たのがジョン・ジョンだった。
 初めて会ってから10年、トップを走り続けている。昨年、『サンフェス』のバックステージで久しぶりに会った彼女は更にタフになっていた。
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"Strip Tease"
Lady Saw
[VP / VPCD-1683-2]