ジャマイカが世界に誇る伝説的な“レゲエ・キーボーディスト”、故ジャッキー・ミットゥのトリビュート・アルバム『A Tribute To Reggae's Keyboard King Jackie Mittoo Interpretations & Improvisations』が遂に完成。J・ミットゥと共演した事もあるスカ・フレイムスのMighty Massaが、プロデューサーのダン・デヴィッドソンのインタビューを交え、J・ミットゥと本作の魅力について語る。

 ジャッキー・ミットゥと言えば、初期スタジオ・ワン時代、プロデューサーのコクソン・ドッドに13歳の時にその才能を見出され、1962年、14歳の時にスカタラツの正式メンバーとなった早熟な天才キーボーディスト。以降、スカタライツの解散後もスタジオ・ワンのソウル・ブラザーズに参加したり、様々なヴォーカリストのバックを務める等、スタジオ・ミュージシャンとしてその才能を発揮したりと、その功績は偉大なものである。実際、仕事のメインとなったスタジオ・ワンだけでもかなりのレコーディングに参加しており、作曲、アレンジも含め、ジャッキー無しではスタジオ・ワンは成り立たなかった様である。ロック・ステディ時代にはジャッキー自身のソロ・アルバムも発表され、その後更にその才能を知らしめるのであった(スタジオ・ワンだけで通算10枚程のアルバムを発表)。そのジャッキーの魅力といえばやはり、ソウルフルなオルガンとピアノ・サウンドである。スカにファンキー・ソウル・オルガンを導入したチューンを聴けばお分かりの通り、正にプログレシッヴ。今現在でもジャッキーが作った曲やリズム・トラックは、レゲエ・ミュージシャンのみならず、世界中の音楽家に広く受け継がれているトラディショナル・サウンドなのである。

 個人的にジャッキー本人に直接会ったのは1回のみ。スカタライツの初来日公演('89年)が最初で最後となってしまった。スカタライツの中でも個人的にはジャッキーと、テナー・サックスのローランド・アルフォンソが好きだったので、生の演奏を目の前にしたときは鳥肌が立ったのを今でも記憶している。特にスカタライツの定番曲「Four Corners」、ジャッキーのソロ時間に演奏された「Rum Jam」、「Hot Milk」は今でも忘れられない思い出だ。

 話は前後するが、スカタラツの前座演奏を控え緊張しまくっていた私達の緊張をほぐしてくれたのはジャッキー本人だった。その時、楽屋は、スカ・フレイムスとスカタライツは別々。隣の楽屋にスカタライツのお方達がいるのを知ってはいるものの、緊張のあまりに挨拶に行けない…。そんな時に私達の楽屋にジャッキーが1人で飛び込んできたのだ。スカタライツの楽屋はお年寄りばかりでシーンとしてるから、隣で騒いでいた私達が気になったのだろう。お陰でジャッキーとは、雑談したり、写真を撮ったりと皆でワイワイ騒いで過ごす事が出来、ジャッキーの人柄を知る事となったのだ。彼はもの凄く無邪気な子供の様で、人見知りもせず、誰にでも陽気に振る舞っていた。その姿は、私が長年想像していた人物像とは全く違うものだった。ステージではキーボードを抱えて弾いたり、ピアノの上や椅子の上に登って弾いたりと派手なプレイで観客を沸かせていた。こうした光景は今でもはっきりと思い出せる。
 ところが、初のスカタライツ来日でジャッキーを目にしたのが最初で最後とは…その時、誰が予想出来ただろうか? 以後、スカタライツは幾度となく来日している。だが、そこにはジャッキーの姿はない。初来日のライヴを終え、ジャッキーが帰国した直後、医師からジャッキーがガンである事を知らされ、余命半年〜1年と診断されたのだった。その話を人づてに聞いたのは、ジャッキーに会ってから、たったの1ヶ月後あまりの事である…。

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 本アルバムはクイーンズ(NY)在住のジャマイカ人プロデュサー、ダン・デヴィッドソンの提案で実現したものだ。ダンはジャッキーと中学校時代(キングストン・カレッジ・セカンダリー・スクール)からの友人。ジャッキーが11歳の頃の話である。その頃、既にジャッキーは音楽家として才能を発揮し始めた様で、「いつもお昼の時間にピアノを弾いていて集会場にいた人を引きつけていました。例外なく皆はクギ付けになっていた」(ダン)そうだ。その後もジャッキーはスカタライツを経てソロに至るまで自分の才能を発揮し続けたのだった。ダン曰く「やさしく、純粋で、完璧主義者だった」と言うジャッキーは、「常に内側の感情とソウルで演奏していた」(ダン)ためなのだろうか、「時折、自分の才能に限界を感じ落ち込んでいるときもあった」(ダン)らしい。人一倍明るく振る舞う彼も、落ち込む時には落ち込んでいたのだ。だからこそジャッキーは誰からも愛されたのではないのだろうか?

 そんなジャッキーを傍らで見続けていたダンは語る。「彼は、ミュージシャン、プロデューサー、そしてアレンジャーとしての素晴らしい作品を残してくれました。彼がこの世を去った後、彼の名前をジャマイカの音楽史に残すために何かしようと誓い、このトリビュートを作ることにしたんです」。そして、ダン自らディーン・フレイザーにジャッキーの数多ある曲の中から25曲ほど提案し、そこからディーン・フレイザーが更に18曲に絞り込み、そして様々なキーボーディスト達に依頼し、今回参加したミュージシャンが決まったのだ。当然、参加したメンバー全員、昔からジャッキーと深く関わってきた古き良き仲間達ばかりだ。

 バックを担当するミュージシャンはドラムにスライ・ダンバーをメインに据え、ベースは多少曲によって異なるが、メインにロビー・シェイクスピアを据えた最強コンビのドラム&ベース。その他のパートは曲に応じて参加しているミュージシャンがそれぞれ異なる。そうした素晴らしいトラックにジャッキーの曲を奏でる18名のキーボード奏者。曲のラインナップは、ジャッキーの初期の名作、スタジオ・ワンの1stソロ・アルバム『Evening Time』と2ndアルバム『In London』からのロック・ステディ・ナンバーが中心。各曲ごとに参加しているキーボーディスト達のオリジナル・センスを盛り込み、各自思い思いのジャッキー・ミットゥを表現している。基本的にはどの曲もジャッキーのオリジナル曲に忠実なアレンジで、ノリもタイトで心地よく最高である。
 とにかくジャッキーを知る人にも知らない人にも是非聴いてもらいたい作品だ。何故ならレゲエそのもの原点がここにあるから。いいものは消して忘れられてはならないし、それは次の世代へと受け継がれて行かなくては…。

 最後に、プロデューサー、ダン・デヴィッドソンから本誌読者へのメッセージを。
 「このアルバムはジャッキーの仲間によって作られた歴史的なアルバムであり、全ての人を虜にするはずだ。レゲエを愛する人にとっては特に…」





"A Tribute To Reggae's Keyboard King Jackie Mittoo
Interpretations & Improvisations"
[VP / VP1675]