ウェイン・ワンダーと言えば、デビュー当時はサンチェスのフォロアーみたいで、10年くらい前はペントハウス・レーベルからブジュ・バンタンとの掛け合いでヒットを飛ばしまくって、その後もコンスタントに名曲を放っている極甘系シンガーで、日本にも2、3回行ったことがあって……。と、日本のレゲエ・ファンにはお馴染みのアーティストなわけだが、昨年リリースした「No Lettin' Go」がアメリカでスマッシュ・ヒッ ト、いきなり“時の人”というか、新人扱いされてるのもどうかとは思うのだが、ビーチで健康美大爆発のお姉さん達と踊っているヴィデオがMTVで流れた日には、「いやぁ、良かった良かった」と素直に喜ぶのが長年のファンの務めでもあり。

本人に確認したところ、「あまり深く考えるとだんだんプレッシャーになるから、なるべく考えないようにしている。今まで通りに曲を書いて、今まで通りに歌うしかないよね。まぁ、長いことやってきたわけだから、急に張り切ったりしないで、落ち着いてるように心がけている」と、至って冷静。

 この勢いに乗じて、6枚目のアルバム『No Holding Back』もアトランティック・レコードとVPレコーズが合同でリリースする“メジャー盤”。これが花丸、二重丸の出来で、本誌読者ならすでにチェック済みだと察するので、これ以上字数は割きません。万が一、未聴の場合はすぐにCD屋に走って、私が思いの外、苦労した聞き取り対訳のついた日本盤を買って下さい。大丈夫、後悔しないから。

 さて、ここできちんと記して置きたいのは、ウェイン・ワンダーのここ10年の地道な歩みだ。91年に初来日を果たした時分は、ステージで歌う曲のほとんどがカヴァだった彼に転機が訪れたのが93年だ。「当時はカヴァものが流行っていたから、オリジナルを歌いたいと申し出ても、なかなか認めてもらえなくて。でも、俺はそのうち人の歌を歌うのに心底飽きてしまって、93年にカヴァものを一切しないって、決めたんだ」。そこから、作詞はもちろん、トラック作りにも関わるように。

翌年に出したアルバムは、その名も『All Original Boomshell』。100%、オリジナルの曲が詰まっていた好盤だった。この後、エンジニアだったデイヴ・ケリーと共に、大御所プロデューサー、ドノヴァン・ジャーメインが率いるペントハウスを離れることを決意。「ペントハウスでは流行を追うことが第一で、旬のトラックで歌うしか選択肢がなかった。でも、俺は自分のキャリアに違うヴィジョンを持っていたし、デイヴもオリジナルのリディムを作ることに専念したかったから、二人でほぼ同時にペントハウスを離れたんだ。

マッドハウスでは俺はパートナーとして、彼が作ったばかりのトラックを試す役目だった。ダンスホールのトラックに歌を乗せるのはそれなりに大 変だから、俺が耳で聞いてメロディーを乗せられるかどうか最終チェックしてたんだ」。ソング・ライターとして、自分のヒット曲だけでなく、デビュー時に大きく力を貸したブジュ・バンタンの「Murderer」や「Deportee」を一緒に書いたり、ベイビー・シャムやフリスコ・キッドらにもリリックを提供している。

 カヴァものからオリジナルの曲へと大きな変化はあったものの、歌うテーマと上半身をあまり動かさずにきっちり歌い上げるスタイルは変わらない。90年代のダンスホール・レゲエ・シーンはラスタ系の台頭や、ヒップホップやR&Bのウケ売りヒット曲の蔓延など激しく変化したから、この“変わらなさ”は貴重だと思う。

ラスタファリアンに転向した、盟友ブジュ・バンタンとは音楽的に距離が出来てしまった。「俺は自分の音楽で人がくつろいで欲しいと思ってる。ラスタを信じるのもいいし、仏教徒になったって構わない。でも、それを人に強制するのはおかしいと思う。ボブ・マーリーだってラスタファリアンだったけれど、すてきなラヴ・ソングをいっぱい残してるだろ? ブジュとはそれで議論したよ。彼は俺がある種のラヴ・ソングを歌いすぎるって批判したんだ。彼はアフリカ回帰とか曲にするけれど、俺は行ったこともない場所のことは歌いたくないって考えるタイプだし」。

ただし、ブジュとは一緒にコンサートを開く距離をキープしている。一方、完全に袂を分かっているのが、トップ・プロデューサーに成長したデイヴ・ケリーだ。「デイブと一緒にやっている時に、いろいろアイディアが浮かんでも実現できないことがあったから、自分でレーベルを運営することにした。新人を育てたい気持ちもあったし。彼とは3年くらい話してない。子供の頃からの知り合いだから、確かに辛かったけれど前進しないといけなかったから」。デイヴのネアカな兄貴、トニー・ケリーの方はしっかり最新作にも力を貸している。

 ちなみに、ウェインはキングストンのRae Townの出身。日曜日のオールディーズ・ナイトでスタジオ・ワンを聴いて育ち、歌の上手さを買われ、キング・タビーのスタジオに初めて連れて行かれた時は、一言も口を利けなかったという。そのシャイな少年シンガーが、20数年後、旧友から独立する強さを身に付けてアメリカのヒット・チャートを駆け上っている。ウェイン・ワンダーは、甘い歌を上手に歌うだけのシンガーではないのだ。


"No Holding Back" [Werner/VP / WPCR-11511]