ビーニ・マンの大ヒット・アルバム『Tropical Storm』に収録された「Bossman」と自身のヒット曲「Gimme The Light」でアメリカ中のレコード会社が一斉にオファー合戦を繰り広げたレゲエDJ、ショーン・ポールがセカンド・アルバム『Dutty Rock』を遂にリリース。さっそくすっかり時の人となったショーン・ポールにインタビュー。



 ショーン・ポール(以下、SP)は様々な意味で新世代のDJだ。「Gimme The Light」がNYのヒップホップ/R系ラジオ局、Hot97で人気を博して火がつき、BETやMTVなどケーブル・テレビ局のリクエスト番組やビルボード・チャートで快進撃を見せ、一気にジェイ・Zやバスタ・ライムズから声がかかる存在に。ストレートなダンスホール・チューンを引っ提げてすんなりアメリカのシーンに混ざり、おまけに気負いがない。

彼はレゲエ・シーンでは90年代半ばからすでに知られた存在だが、その経歴は異色だ。現在29才のSPは、ポルトガル系ジャマイカ人の父親と中国系ジャマイカ人の母親を持つ。出てきた当初、モロに“スーパー・キャットのフォロワー”なスタイルと、その外見のせいで筆者は勝手にキャットと同じアパッチ(インド系ジャマイカ人)だと思っていた。

「スーパー・キャットを思い起こすのは当然なんだ。俺は彼に憧れて、真似をするところからDJを始めたくらいだから」とあっさり認めるSP。“俺が俺が”のジャマイカ人的プレゼンテーションに慣れている当方が戸惑うくらい、発言がいちいち謙虚なのである。SPはレゲエ業界では珍しく、アップタウン(山の手)で育ち、10代はオリンピックを目指すほどの水泳選手だったという。

 「アップタウン出身といっても典型的な上流階級の家庭ではなかったよ。父親が政治的な理由で俺が13才から19才の時まで刑務所に入れられて、その間母親の収入だけで暮らした。おばあちゃんと弟もいる家庭で俺は父親の役割もしていたよ」。お母さんはジャマイカでは著名な画家である。「母親自身がアーティストだから、俺が音楽の道に進むのは心配してたね。心から好きなアートを追求するのはすばらしいことだけど、それがモノにならなかった時に誰よりも本人が傷つくことを彼女は知っていたんだ」。そこで、安全策として大学でホテル・マネージメントを専攻することに。「大学に通って帰宅してからリリックを書いたりスタジオに行ってデモを作ったりする生活だった。銀行勤めも1年だけやったよ」。

 音楽に入れ込んだきっかけは「高校時代に母親に2、3年くらい拝み倒してフリーマーケットで30ドルくらいの中古のキーボードを買って貰った」こと。ゲットー出身の方が音楽業界で渡りをつけやすいが、アップタウン・キッドのSPにはほかに強みがあった。衛星放送を入れている友人宅で80年代からヒップホップやディスコ・ミュージックに親しんでいたのだ。

 「90年代の頭にキャットやシャバ・ランクス、ルーティナント・スティッチーがアメリカでメジャー・ディールを結んだのは刺激になったし、目標にしていたね。彼らはアメリカのラジオでかかるためにKRS-1やクリス・クロスなんかと組んでいたから、俺の世代になってストレートなダンスホールで勝負できるようになったのはクールだよ。彼らのおかげでダンスホールがヒップホップ系のクラブでかかるようになって、俺達が受け入れられる土壌が出来たんだ。それから、俺個人のことで言えば、99年にDMXと一緒に組んだことで知名度が上がったかな」。ちなみに、これはDMXが主演した『Belly』のサントラでの話。映画本編にもSPはミスター・ヴァガスと一緒にちらっと顔を出している。次いで2000年にVPレコーズよりデビュー・アルバム『Stage One』をドロップ。「Hot Gal Today」などのヒットを経て現在の快進撃に至る。セカンド・アルバム『Dutty Rock』は各レコード会社からオファーがあった中、「ストレートなダンスホールのまま」との条件に同意したアトランティック・レコードがVPとのジョイントでリリースした。11月12日、NYのサウンド・ファクトリーで行われたリリース・パーティーでは、ビーニ・マン、T.O.K.、リル・キム、バスタ・ライムズが応援に駆けつけた中、SPはボブ・マーリーのTシャツとファーのコートという“新世代”な出で立ちで、張り切ってマイクを握っていた。

 タイトルのDuttyとはDirty(汚い)を意味し、彼がアップタウンでその昔結成した“Dutty Cup Crew”から由来している。「ダッティー・カップ・クルーは90年代半ばに全員が声を揃えるタイプではなく、ヒップホップみたいにマイクを回すパフォーマンスをやったんだ。全然ウケなくてね。ジャマイカのマスコミに散々叩かれたな」。人に歴史あり、である。さて、アルバムにはスティーリー&クリーヴィー、スライ&ロビー、キング・ジャミー、トニー・ケリーと第一線のレゲエ・プロデューサーのほか、アメリカのトップ・チャートを手中に収めているネプチューンズが曲を提供。ゲストはプエルトリカンのヒップホップDJ、トニー・タッチやザ・ルーツのラーゼルを迎えている。内容は、ずばり新世代ダンスホール。懐かしいレゲエと斬新なトラックが同居する、タイトな仕上がりだ。

 快進撃の秘密を自己分析してもらった。「音はダンスホールだけど、ヒップホップ世代がよく使う言葉を入れたり、トラックの速度を上げたりしてこっちの人の耳に馴染みやすい工夫はしてあるよ」。アメリカのDJはダンスホール・レゲエをかける際、極端にピッチを上げて早回しするので、最初から速く作るのは全く賢い。「スーパー・キャットの声が16才くらいに聞こえる速さですよね」と指摘したら、大笑いして「彼が16才だったら、俺の声なんてリスがキーキー言っているようにしか聞こえないよ。あれ、イギリスやジャマイカでもやるんだよね。参るよ」。  順風満帆に見えるSPにもコンプレックスがある。それが、何と日本である。

 「96年からこのビジネスをやっているのに、キングストンに来る日本のクルーは俺の前を素通りしてほかの奴にダブを頼みに行く。今まで3枚しか頼まれたことがないんだぜ。俺は日本食が大好きで、日本の文化にも興味があるのに。コンサートにも招かれたことないし、何か片思いみたいだよ。俺の肌が白いせいかなぁ。ラティーノの人には逆に親近感を持たれるんだけどね。とにかく、俺は絶対に行ってパフォーマンスしたいと思っているから、そこのところ、ちゃんと書いておいてね」。

 はい、ちゃんと書いておきました。