80年代後半、メディアには全く紹介されなかったが、ミュート・ビートからの影響もあってか東京のライヴ・ハウスには小さいながらもダブ・シーンが存在した。その当時シーンで活動していたメンバーが集まり結成されたトライアル・プロダクション。結成8年目にして1stアルバムとなる彼らの『Red Rock』は、あの当時のヒリヒリする様な緊張感に満ち溢れた作品だ。
●結成の経緯は?
アンチ:今はもうない代々木チョコレートシティでライヴをやったのが最初なんで、94年ですかね。その時のメンバーで残っているのは俺と西内しかいないけど。アルトとペット、そして当時、インパスターズってバンドでテナーやってる藤森って奴とで3管入ってて、パーカッションとミックスする奴もいました。

●当時と比べて変った点は?
アンチ:機材は変ったけど……。
西内:演奏能力は全然変ってない。
アンチ:(笑)……でも人が増えたのとサンプラーが一台増えてる。


●あまり他バンドとの交流がないそうですが、端から90年代の日本のダブ・シーンをどう見てましたか?
アンチ:あんまよく分かんなかったですね。接点もないし、僕自体はリアルタイムでは聴いてないですよね。
西内:アンチ自体、レゲエはあんま聴かないじゃん(笑)。こいつラテンが大好きなんですよ(笑)。
アンチ:(笑)レゲエは後追いですね。最初はポップ・グループとかラフ・トレードの人達でしょ。日本だとじゃがたらですよね。あとマッシヴ・アタックとかスミス&マイティとか。そういうのを掘り下げて行ったらデニス・ボーヴェルとかがやってたレゲエなんだって。レゲエで聴くのはジャマイカのじゃなくてUK発のが多いですね。最近はダブヘッドの周辺とか。


●編成がホーン6人+ミキサー1人、そしてトラックは打ち込みというのは珍しいですね。
アンチ:そうね、でも昔っからそうだね。基本的にトラックって決まっているんで、そのままやってもつまんないじゃないですか。だから各メンバーがそれぞれそれを壊してくれてる。ま、僕らの場合、ガッチリしてるものを壊してくって感じなのかな。

●ここまでズラっとホーンを揃えるというのはやはり、ホーンへのこだわりが強いのですか?
アンチ:ないですよ(笑)。でも3管でやってた時に一時期トロンボーンが入ったんですね。そしたら音が余りにも分厚くてね、3管に戻れなくなっちゃって(笑)。その後、「やろっか」って誘って手を上げた奴をみんな入れちゃったんで(笑)。もう増えないと思うけど。

●トラックがキレまくっててカッコいいですよね。特にドラムのオカズやベースラインに凄くレゲエを感じます。しかもどの曲も非常に男臭いし……。
アンチ:やり易いんですかね。自然とこのパターンで。トラックは基本的には俺が一人で。今回のには入ってないけど、ケンケンが作ったのもあります。

●エンジニアとしては非常にまとめ辛いのでは?
永田:僕は出身が打ち込みなんで生でやったことは殆どなかったんですよ。でも、もう2年とかやってるんで慣れてきたというか。ダブはあまり知らないんだけど、いわゆる音響ってあるじゃないですか? そっちに走ってた時期があって、ディレイとか飛ばしとかにハマって。それをライヴでやったら違物感はあるんだけど、まあオッケイみたいな。
ケンケン:元々レゲエの人がミックスするより、逆にテクノとか音響の人がやった方が面白いかなって。
アンチ:違物感があるからいいんじゃないのかな。俺はそういう違物感があるのが好きだし。


●アルバムをまとめてみてどうですか?
アンチ:やっぱ目標はあるけど、現時点では出来る事はやったかなっては思います。
西内:う〜ん、タイトルはかっこいいなって(笑)。


●因みに西内さんはレゲエ・ディスコ・ロッカーズ等でも活躍されてますが、トライアル・プロダクションにはどのくらいの比重を置いているんですか?
西内:消費税くらいですかね。しかも外税。
全員:(爆笑)