Carlton and The Shoes with Ska Flames Hones(1992年9月27日 渋谷クラブクアトロ)
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『Love Me Forever』
[Studio One /PSOCD003] |
『ディス・ハート・オブ・マイン』
[Overheat / OVE-0082] |
『スウィート
・フィーリング』<br> [Overheat / OVE-0046] |
『Music For Lovers』
[Overheat / OVE-0083] |
クソ暑いエアーポートに到着した井出靖さんとエンジニアの太田桜子さんをピックアップし、キングストン市内へドライヴしている途中、あっと思って急ブレーキ。「カールトン・マニングに会っていく?」。俺がいきなり聞いたら「え〜っ?」。 井出さんはクレモンティーヌをプロデュースした時にカールトン&ザ・シューズの曲「Give Me Little More」をカヴァーさせている。そりゃそうだよね。キングストンに着いてまだほんの30分も経ってないってのに、仕事の話だもん。ゴメンゴメン。レッド・ストライプの一杯でもやった後だよね。俺の行き当たりばったりの癖でちょうどカールトンの家の前を通るもんだからさ、急停車したって訳さ。 「ハ〜イ、カールトン!」でかい声で叫ぶと奥の方から短パンだけの裸のオッサンが出てきた。井出さんは「あれって?カールトン?」。スタジオ・ワンの名アルバム『Love Me Forever』のジャケットからは20年以上も経っているんだから仕方ない。でも、外見は変っても中味はちっとも変ってない。先ずは、このカールトン・マニングというガンコ爺のことについて触れておく。 1938年7月27日、キングストンに生まれたカールトン・マニングは60年代半ばにアレキサンダー・ヘンリーと実弟であるリンフォード・マニングの3人でトリオを結成。 60年代後半にコクソン・ドッドのスタジオ・ワンでファースト・アルバム『Love Me Forever』をレコーディングしたが、コクソンとの条件面での話し合いが長引き76年にリリースされた。このアルバムはスタジオ・ワンの中でもロック・ステディの名盤中の名盤として今なお全世界で評価が高い。 80年代にはスタジオ・ワン時代の盟友でもある故デニス・ブラウンのプロデュースのもとリヴ&ラヴ・レーベルやDEBレーベル、イギリスのファッション・レーベルのコンピレーションにも作品を残している。 実弟リンフォードは後年、同じく弟であるドナルド・マニングが在籍するジ・アビシニアンズに加入し、もう一人のメンバーであるアレキサンダー・ヘンリーは81年NYにて他界し、実質的にトリオとしてのカールトン&ザ・シューズは存在しなくなった。が突然82年にセルフ・プロデュースによるセカンド・アルバム『This Heart of Mine』を友人であるクオリティ・レコードのダルトン・ベイリーのもとでカールトン&ザ・シューズ名義でリリース。 この作品によって、カールトンこそがザ・シューズであることを世に証明して見せた。彼は作曲とプロデュースだけでなく「僕のコーラスはオリジナルなのでそれを理解し実現する人がいないんだ」と一人でシューズとしてのコーラスをこなしている。この『This Heart...』も名盤の評価を得ながらも長い間廃盤となっていてマニアの間では高価な値段で取引されていた。実は、この中に冒頭の井出さんがクレモンティーヌに歌わせた「Give Me Little More」が入っているのだ。 |