●最初に音楽をやり始めたのは?
CJ:最初はマイティ・クラウンだったんですよ。丁度マイティが結成した時にいました。一年で抜けましたけど。実は高校1年の時は学校がいっしょだったんですよ。ファイヤーボールのクリスは僕の目の前の机だったし(笑)。ダンスパーティなんかでいっしょにやってMCやったり(笑)。その後、地元が東京なんで自然に離れていったって感じで。
●実際、レゲエを本格的に活動し始めたのは?
CJ:マイティとのその1年は遊びで…。東京戻って自然にって。18、19歳位から本格的にマイクを持ち始めました。最初は青山のアフロマニアですね。その時はラガ・スタイルだったんですが…。
●作品としては去年の秋に「あきらめんな/ママネイチャー」をリリースしましたが、その前はどういった活動を?
CJ:修業ですね。ジャマイカ、NY、イギリス、カリフォルニアとか色々行きました。小さなサウンドとかに飛び入りしたりダブを録ったりして自分の実力を高めたり、試したり…。当時、自分の方向性ってラガだったんですよ。でもアメリカやジャマイカへ行った時に結構ルーツにヤられて、感謝とかメッセージとかそういう部分で。
それで自分のヴァイブスも変わってきたのもあって、スタイルも徐々にDJからシンガーに変わってきて…。3年前にジャマイカで今の事務所の人達に出会って、今は徐々にステップ・アップを積んでいるという感じですね。
●今回リリースされた「やればできるさ/泣かないで」を聴いて改めてスピリチュアルなものを感じたし、何より唄の上手さを実感しましたが、最も影響を受けたアーティストと言えば?
CJ:もうガーネット・シルクですね。この人のお陰だと思います。当時、彼は凄い新しかったですよね。すぐ伝わってきたんですよ。だから彼の唄を歌ったりして…。で、そこから自分のオリジナリティ、そしてジャパニーズ・スタイルを見つけ出してきたって感じです。最初ラガばっかり聴いてたんで、その前のルーツとかレゲエの基本を知らなかったんですよ。でもガーネットとかと出会って、ルーツみたいに自分が落ちた時でも受け止めてくれるところがあるんだなあって。凄い感謝してますよ。
●タイトルだけ見ても凄いポジティヴですね。CJの唄の核となっているものは?
CJ:体験した事だけですね。それ以外では自分じゃなくなっちゃいますね。当り前なんだけど、それを皆が分ってくれるかな、ってところが勝負で…。「ママネイチャー」は海が好きなんで、海の中に入った時の目線なんですよね。海に行ったら波乗りはチャレンジしますね。海に暮らしている人の考え方とかも分るし。
●「やればできるさ」や「あきらめんな」を聴くと、CJ自身が這い上がってきたからこそ言える事って感じたのですが。
CJ:自分の過去って失敗だらけだったんですよ。でも今の自分があるのは周りで支えてくれた仲間のお陰ですね。あとみんな夢があるじゃないですか? 今なくても自分で見つけなきゃダメですよね。自分次第でどうなるか分らないけど、とりあえずやってみなきゃ。自分はまだ階段を一段しか登ってないかもしれないけど、いつかは、って思ってるし。
そういう意味ではレゲエが一番ヴァイブスがあるのかなって思います。あんまり偉い事は言えないけど、とにかく自分は分りやすくルーツのメッセージを自分の言葉で伝えて行こうって思ってます。
●前作ではZeebra、今回はDJ Cerolyがリミックスで参加してますね。
CJ:違うヴァイブが出てレゲエ以外の人にも伝わるからいいですね。もっともっと色んな人とも知り合いたいし、自分と同じ気持ちの人もいっぱいいると思うんで、ガイダンスがあればいつでもオッケイかなって。
●さて、そろそろアルバムも視野に入ってると思うのですが…。
CJ:今はシングルだけなんで全ての自分を出し切ってる訳じゃないんですよね。やっぱりもっと自分の中にあるコンシャスな部分とかダークな部分とかも出したいですね。でも最初の段階だから、ヴィジョンはありますけど、もっと自分で掴んでから凄い奴を出したいですね。スタイルは勿論そのままに。
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