01年は、こだま和文が大活躍した年として記憶されるだろう。まず3月に、リトル・テンポの土生剛、エンジニアの内田直之とのユニット、KTU(ケツ)として「What's 8appen?」をリリース。7月にはイギリスで行われた「Womad」に出演。同時多発テロ直前の9月6日には、ニューヨークで行われたDJクラッシュのイヴェントに出演。その他もろもろあって、とどめの一発が『STARS』(00年)に続くソロの新作『NAZO』の完成である。

●『NAZO』は、本当にナゾですね。ここには混沌としたこだまさんの想いのようなものがグルグル渦巻いている気がする。
こだま(以下K):これは、元々は映画のために作ったんだけど、そこからこぼれ落ちてしまった音楽なんですよ。そもそも映画は監督のものだから…(こだま和文は鈴木清順監督の映画『ピストルオペラ』のサウンドトラックのために100曲近いヴァージョンを作ったが、残念ながら、これが自分の音楽だといえる曲の多くがボツになってしまったらしい。『NAZO』は、そんなこだま自身の音楽といえる曲を再構成したアルバムなのだった)。でも考えてみれば、きっかけを与えられて作り始めた音楽だから、かえって自由に音が作れたとも言えるんですよ。
●混沌としている一方で、エゴラッピンの中納好恵が歌う「Noraneko No Theme」というキラー・チューンがある。で、これが15曲中4曲めで、くっきり立っています。『STARS』には12曲中10曲めにUAが歌う曲が入っていたけど、今回もまたアルバムの中にたった1曲だけ歌ものがあって、その置き位置が絶妙、アルバム全体の流れがバッチリですね。
K:唄を1曲ポンと置くのは楽しみですから。
●「Noraneko No Theme」は誰が聴いても素晴らしい曲だと思うはずだけど、でもそういう個々の曲の魅力もさることながら、ぼくはやっぱり、アルバム全体のトーンというか、全体に通底している想いに、とりわけ惹かれます。
K:僕のことをよく知っている人に「誰とも共有できない感情を持っているでしょ」って言われたことがあるんだ。確かに子供の頃そういう感覚があった。ダブとかレゲエとかトランペットとは別のところで僕が持っている何かがあって、それが音に出れば自分にとって最大限の自由なんですよ。
●記憶が解体されて、再構築されているんですね。もしかしてメロディが先に出てくるパターンが多いんじゃないですか。
K:たとえば自転車に乗って買い物に行ったときに、ふとメロディーが浮かぶ。妙なフレーズが出てきて引っかかる。それを家に帰って録音してみて、そこから発展することも多々ある。だけどできるだけ捨てたい。疑うんですね。言葉にしろメロディにしろ、それを生かす前にずいぶん捨てている。頭の中で鳴っているリズムなのかフレーズなのか、質感みたいなものを、どんどん捨てていくんですよ。
●こだまさんのアルバムは、音だけでなくタイトルもジャケットのアートワークも、シンプルであるがゆえの深さがありますね。
K:絵を勉強したことが大きかった。絵でもっていろんなことを見ていくことをやった。作ることはまず見ること。ときどき「普段、何やっているんですか」って聞かれることがあるけど、ずっと考えているんですよ。実際に機材に向かうときには、むしろ何も考えないですね。
●機材って、どんなものを使っているのですか。
K:QY20っていう古いシークエンサーとMIDIキーボードで、いわゆるプリプロをやるんですけど、僕は小さな機材しか使っていない。
●機材がシンプルなのは、音楽以前に考えることにエネルギーをつぎ込めるということでもあるわけですね。
K:すべてはプロセスの中にあると思うんです。僕は貿易センタービルでテロが起こる2日前までニューヨークにいたんですよ。DJクラッシュのイヴェントに出るために3年ぶりにニューヨークに行ったんです。イヴェントはすごく良くて、クライヴ・ハントと15年ぶりぐらいで再会したり、ロイド・バーンズも来てくれて、楽屋がちょっとした同窓会になったりした。でも今回ニューヨークに行って、なんとなくアメリカがダメになっていくって感じたんですよ。マンハッタンを散歩したりホテルでちょっとテレビを見た程度のことからの印象ですけど。で、東京に帰った直後にテロが起こって、それからずっと、アフガニスタン情勢とかテレビで見ることになったんです。今年は早かったですね。前半は結果的にこの『NAZO』になる音楽をずっと作っていたし、テロが起こってからはずっとそのことを考え続けているから。もう、反戦という言葉が、メッセージとして成り立たなくなったんじゃないかな。テロが続く。戦争も続く。すべてはプロセスの中にあると思ったんです。もちろん、反戦ということ自体はまったく正しいことだと思うけど、状況がどんどん複雑になっていって、それがメッセージとして成り立たない。でもそれにとって代わる言葉は僕の中では見つからない。
●『NAZO』が混沌としているのは、奇しくもそういうテロの時代を表現していたからだと思います。