8月25日、横浜ベイ・ボール。マイティ・クラウンが主催する「横浜レゲエ祭〜バンド・ナイト」はとんでもなかった。踊るどころか、水分補給も、トイレすらもままならない酸欠必死の蒸し風呂状態の中でステージを凝視する観客、そしてその鋭い視線と期待に負けるまいと、これまた灼熱のステージで格闘する各アーティスト達。 そこには、そうした尋常ではないテンションだけが生み出すことが出来た「特別なもの」が存在していて、参加した者全てがそれを享受、確認することが出来た、何とも幸福な時間が流れていたのだった。そう、失ったカロリーと引き替えに得たものは大きかったネ。 そして、その夜、まるでテンションの落ち着き先を見失ったかの如く、飛ばしまくる多くのアーティスト達の中にあって、ただ一人、飄々と、しかし堂々と「仕事」をした″男″が居た。ステージの端から端をゆったりと歩き、観客からの熱い歓声にもほどほどに「ほな、次!」の掛け声と共に次々と歌い上げ、強烈な印象を残していった″男″、そう、ナンジャマンだ。 ルックスはベイビー・フェイス、物語を語りかけるようなDJスタイル、ギミックの無いザラついた声はまるで自然体。しかし、出てくる言葉には危険がいっぱい。拳銃、爆弾、ドラッグ…。ただ、聴こえてくる映像は、ハリウッドのマフィア映画ではなく、Vシネマの様。社会風刺も辛い。ゆえに、ひたすら男臭く、力強い。しかし、それは見た目やスタイルや言葉だけのせいだけではない。何がそうさせるのか、醸し出す本人の″スメル″のせいだろう。ルード、いや漢字で「不良」と書く、その香りだ。 マイクを握り始めた80年代末。DJネームは勿論、ニンジャマンから。横浜エリアをベースにジャマイカを行き来し、90年代半ばにジャマイカから発信した日本人レーベル〈ジャップ・ジャム〉からの「ギャグスタ893」、「やめとき」等で″バッドボーイDJ″として広く知られるようになる。90年代末には自ら〈爆音シンジケート〉を設立、横浜産コンピ『ベイスクワッド』にも参加。数々の不良チューンで全国の不良少年少女を絞め上げながら、マイペースにやってきた。 その″浜の兄貴″が、ここにきてその動きを急激に加速している。〈爆音シンジケート〉からの初のCDとして今夏、改めて自身のDJとしての所信表明を示したような「リディム・ライダー」をマキシ・シングルとしてリリースしたのに続いて、早くも10月にはマキシ仕様で、あのダブでもお馴染み、代表曲でもあり、不良少年少女のアンセムでもある「行きたきゃ行け」(!)をリリース。さらに、11月にはアルバムまで控えているという、まさに爆音ならぬ、爆進状態にいるのだ。 両マキシを聴く限り、″ナンジャ・ワールド″に異常は無い。古くからのレゲエ、ジャマイカに対する愛情に溢れたそのスタイルは、併録されたヒップホップDJ、ロックハウンドのリミックスからもビシビシと伝わり、そのハードコアな世界観もこれまで通り、ハジかれてしまった側に立ったそれである。不良の香りも変わらず濃い。アルバムを期待させるには十分な「予告編」と言える。 中にはヴェテランらしい変化球を期待した者もいるかもしれない、けど、この変わらぬ直球のスタイルにこそ魅かれてしまう者が多いハズだ。その不器用さにこそに、哀愁を、切なさを感じて、逆に勇気づけられてしまうハズなのだ。勿論、それが格好良いことじゃないなんて知ってる。でも、そんなもんだろ、男って。それでいいのだ。 |