人間、"三つの点"さえあればそれが "顔"の如く見える、というのは(心理学的に)よく言われるが、この場合は如何なるものだろうか。

 K…こだま和文
 T…土生 "Tico" 剛(Little Tempo)
 U…内田直之(Dry&Heavy Connection)
これが ″ケツ″なるものの正体、である。

 「″KTU″とは、いつどこで何をやるかわからないイレギュラーなダブ・ユニットだ。バンドではなく、単なるセッションでもない。先行きの見えないこれからの時代にふさわしい在り方だ。とは言え、Ticoにはリトル・テンポが、内田直之にはドライ・アンド・ヘビーが、こだまにはダブ・ステーションという、それぞれしっかりと音を作っていく基盤がある。だからこそKTUは自由である。何が起きるかわからない。What's 8appenだ。明日、1000万枚のヒットということにはならないだろうが、これからの時代の音を想うなら注目していくがよい」(こだま和文)

 KとTとU、各々の点が自由気ままに、"DUB" という線で結ばれたユニット、とでも形容すればいいのだろうか。とにかく、このKTUは″こだま和文らしく″また″Ticoらしく″、そして″内田直之らしい″。こだまはトランペット、カリンバ、バード・ホイッスルを、Ticoはスティール・パン、ケテ(ドラム)、その他ベース等のプログラミングの全てを、また内田はダブ・ミックスを担当する、という役割は当たり前のようにある。

 だが今のところ唯一(と思われる)KTUのマテリアル「What's 8appen?」(タイトルに掛けて約8分、という絶妙のタイム)から聴こえてくるのは、先のこだまのコメント文にもあった「何が起きるかわからない」という″面白さ″と、それゆえの″深さ″にある。それは独立した活動(グループ活動を含める)を持つアーティストが集まった、いわゆる″スーパー・ユニット″の特徴とも言えよう。いや、ユニットという存在は本来そういうものだ。

 3人はそれこそ″勝手知ったる仲″ではあるが、だからこそ生まれる″ケミストリー″もある。「What's 8appen?」は、言わばそんな曲だ。レゲエという、もうどうしようもなく染みついた下地=ルーツがある職人カタギの本物のアーティストだからこそ奏でられる音楽。このレコードをDJたちはプレイしたがるに違いない。このCDを、リスナーたちは目を閉じて浸り聴くに違いない。そして、まだ″生のKTU(生KTUとは言わない)″に触れたことのないファンにとって、一時も早くその″画″が観たくなるに違いない…そんな一曲、である。乾坤一擲であり、しかしながら放埒でもある。もう、メロディのつづれ折りがどうの、覚醒的なリズムがどうの、ミニマルなベースラインがどうの、といった説明をここでするのは野暮なくらい。それくらい″KTUらしい″のだ。

 因みにこのユニットが初めて聴衆の前に現れたのは、一昨年のクリスマス。所は京都のクラブMetro(お馴染みのロングラン・イヴェント "SkaっとReggae" にて)。その日のステージは勿論、その場にいたヒトを中心に″語り草″となっているが、安心して欲しい。その15分47秒にも及ぶ″初演″(この日のスペシャル・ヴァージョンとして「White Christmas」のブロウも聴ける)はここにもしっかり収められているのだから…。

 「2000年の音だからね。まったりと踊るんだよ」

 そんな声が聞こえたならば、この″勝手知ったるケミストリー″をマッタリと楽しもうではないか。そこでふと気付く、KTUという名の″顔″。アナタにはどう見えた?