●まず、こだまさんの目から見て、80年代と90年代の日本のレゲエ・シーンはどの様に写ってたのですか?
こだま和文(以下K):80年代を振り返れば、ボブ・マーリーが亡くなって、2トーンのスカだとかUB40やアズワドとかのUK勢が一斉に出てきて。でもその時は日本でレゲエやダブをやろうってバンドは少なくて、目立つ所ではスカ・フレームスとか東京スカパラパラダイスオーケストラが頑張ってた。DJもランキン・タクシーやナーキが手探り状態でやるっていう状況だったし。
でも90年代に入ってからは、DJも含めて地方でもサウンド・システムを持って自分達でやってこうって人達が物凄く増えてきて。本当にレゲエが好きじゃないと見えてこない部分は多いけど、確実にたくましくなってきてるよね。レゲエは乱暴で力がある音楽なだけに、ちょっとしたきっかけで伝わっていく音楽なんだ。
その積み重ねがここ10年、20年あったと思うんだよね。それって「ジャパンスプラッシュ」や「リディム」が定期的にやってるってのを見るべきであって、それで少しずつだけど確実にレゲエを聴く人が増えてったと思うのね。80年代と比べて90年代って事で一つ言えるのは、見方によってはより多くの人が「ダブ」という言葉を口にする様になった事。
ただ、80年代始めにダブとかレゲエとかスカの音楽を取り入れて活動していた者から言わせて貰えば、最近雑誌等でインタビューを受けてふとよぎるのは、いつも質問の切り口が同じ場合が多いんだよね。つまり自分がデビューしたばっかりの時に訊かれてた内容と20年位経って訊かれる内容が変んないのが、ある意味残念なんだよね。ある程度目立った動きがある時だけ「ダブとは何だ?」「レゲエを始めたきっかけは?」って。
僕は自分がアーティストとしてずっとレゲエの中に居ると思うんだ。表面的な活動が薄かったり濃かったりする事はあったとしても(笑)。だからあんまり時代がどうこうっていう比較は出来ないんだ。例えば自分自身がヒップホップの方に注目してた時期があったとしても、レゲエの中に自分の音楽を結びつけていく力を感じていたからね。
幸いドライ&ヘビーだとかデタミネーションズとかが出てきた事で少しずつ客観的に時代の流れを感じる事が出来る様にはなったけど。そういう意味では今は幾分状況が良くなったよね。あとヒップホップのお陰もあってDJってのがそんなに珍しいものでもなくなったし、ダブっぽいサウンドってのもそうそう珍しい事でもなくなった。
やっぱりレゲエって包容力と言うか奥行きってのがとてつもなく大きいだけに、繰り返し騒がれる時があったとしても結局使い古されないって言うか、つまりちょっと位流行ってもビクともしないんだよ。
●それでは新作の話を…。昨年久々のソロ・アルバム『Requiem
DUB』のリリース後の11月20日、リキッドルームで「リディム」の200号記念イベントとして「こだま和文&ヒズ・フレンズ」を行いました。今回の作品ではあの時のライヴで得たもの、例えばバンド・サウンドやヒップホップ・トラック等が具体的にサウンドとして反映されるのでは?と予想してたのですが…。
K:(得たものは)勿論あったよ! 今回のアルバムで大きく言えることは、まさしく去年『Requiem
DUB』を出して、それでリキッドルームでイベントがあって…その二つのお陰で自分が更なる力を貰えたし、次のステップになってるんだよね。今思うと、僕はむしろ聴きに来てくれるのだろうか?とか心配してたんだけど、あんなに多くの人が集まってくれて凄く嬉しくて。
確かに今回の作品も全部自分で作ってるけど、中に込められた自分の音楽的な気持ちとしては、あのイベントで自分が正に感じたレゲエとかダブ・バンドだけじゃない、つまりDJクラッシュやデヴ・ラージとかのヒップホップの中で感じ取ったものを凄く反映してるんだよ。だから僕のソロ・アルバムって91年に出した『Quiet
Reggae』と去年の『Requiem DUB』、それで今回は『STARS』。つまり今回は「レゲエ」も「ダブ」も付いてないよね。そういう意味では去年の暮れのリキッドルームからスタートした自分ってのがあるんだよ。
で、今回の作品は自分の中でやりたくてもやれなかった事だとか、取っておいたものをそのままにせずに、思ってる事があればすぐに出してみようって事でやれたんだよ。取材で今回のアルバムの事を訊かれる時に、どうしても話を遡って『Requiem
DUB』から話を始めないとダメなんだ。つまりあれが終わりであり、スタートであったんだって事の話をしないと今回のアルバムは語れないんだよね。そんなに時間が経ってない中で起った事なんだけどね。
●プレス用の資料にこだまさん自ら「ディテールが全体を呼び、全体がディテールを呼び込んだ」と書いてますね。これは次から次へと作品が生まれたという事ですよね。
K:そうそう。キーボードに向かえばそのリズムが出てくる。それでリズムを走らせればピアノのフレーズが出てくる。それでメロディを載せる。更に自分の中にあるもう一つのメロディを出してみるって感じでどんどん出てくるって感じだったんだよ。それで曲になったから聴ける。じゃあ録音しようって録音を始める。そしたら今度は何かもっと違う音を入れてみようだとか、そういう事が同時に進行する訳さ。だから今回は12ヴァージョンあるんだけど、それが全部最初から最後まで全体がいっしょになって進行したんだよ。
予めリリース日が設定されてるにも関わらず、早く作んなきゃっていう焦りではなくて、どんどん出てきてしまう自分のフレーズだとか、10曲位出来てるからもう作らなくてもいいはずなのに、また新曲が出てくるっていう様な状況だったんだよね。
●前作とは随分対照的ですね。
K:そうなんだよ。前作はその曲を作ってたら他の曲に手を出すのを善しとしなかったんだよね。あの3曲を出さない限りは他のものに移れなかった。暫く作品を出せてなかったから早く出したいって気持ちは凄く強かったんだけど。でもあれをやった事で自由になれたんだよ。つまりあの作品で俺は一回死んだと言ってもいいし、新たに始まったってのもあるんだよ。
あれで何かを終わらせたかったし、何かを始めたかった…だから″レクイエム″なんだ。それからリキッドルームのイベントで自分の事を凄く歓迎して貰えたから、アーティストとして何か作って生きていくっていう事がまんざらでもないって言うか、力を得たんだ。
確かに僕が今迄やってきた様なインストゥルメンタルで、ダブとかレゲエをベーシックにした音楽をやりながらも、1年も待たずにアルバムを出せて、しかもアルバム前にシングル(「Funky
Planet」)をリリースするなんて状況は嘗てなかったと思うんだよね。それってランキンやスカ・フレイムスやスカパラもそうだけど、フィッシュマンズやリトル・テンポ、あとブリストル系のマッシヴ・アタックとかの独特なダブの解釈を受けての流れとも大いに関わりがあって、それでUAに繋がってく。
UAが例えば「ダブ」って口にしたとたんに色んな媒体が「ダブって何ぞや?」って話に繋がる。そういう事全部含めて僕にとっては大きな力になってると思うんだ。勿論、挫折とかヘコミとかもあったけど(笑)。実はあんまりいい話ばかりではないんだよね(笑)。
●アルバム・タイトルもそうですが、「星」を冠にした曲が多いですね。その意図は?
K:今回のアルバムは自由に外に出ていきたかったんだよ。その時その時で思うがままに自分の中にあるプログラムされてない信号が来た時に素早く反応して、とにかく外に出てみるっていう気持ちだったからだと思うんだ。地球に居ながらにして『Requiem
DUB』を作ったとしたら、今度の作品は地球の外へ出て地球を見る様な気持ちになってたからね。
つまり自分の気持ちの中で自由に場所を変えてみるというか、むしろ自分が自由になれる場所を見い出していくっていう、そういう意味で星の名前を付けたんだ。アルバム・タイトルは星でもあるし、月でもあるし、地球でもあるんだよね。それ全部が星であって、地球の中にいる人も生まれては消えていく星の様だっていう気持ちになってたんだよね。
ミュート・ビート時代の『March』のジャケットでも地球をあしらったけど、気持ち的には大きな違いはないんだ。自分の中では「新たな挑戦」だとか「新しい所へ向かって」と言う気持ちはあっても、ミュート・ビートの時からアーティストとしての自分はそんなに多くの事を語ってきた訳じゃないし、自分の気持ちは一貫している。つまり一つの事を知って貰いたいんだ。
ミュート・ビートで『March』があって、その前に『Lover's Rock』があって『Flower』があるっていう、あの辺の作品って何か決定的な自分ってのがあってね。それから一人になったけど、中に込めるメッセージ、つまり今回のアルバムに込められたメッセージが再び『March』でもいいんだよ。でも確実に違う事ってのは、より自由になりたいっていう気持ちが強くなってるって事だと思う。昨日より今日、一つでも二つでも自由になりたい。それは大きく違うと思うな。
●UAとコラボレーションした「月光ワルツ」の歌詞の中で「大切な孤独 そっと隠して 蒼いこの星を 泳いでいこう」という最後のフレーズが、現在のこだまさんの心の動きを端的に表している様な気がするのですが…。
K:(照れながら)これはUAが書いてきてくれた詞だから、何とも言えないよ(笑)。僕の口からじゃ、とてもじゃないけど「このアルバムに対する自分の気持ちをうまく伝えてくれてる」なんて言えないよ。こっ恥ずかしいしさぁ(笑)。UAが書いて唄ってくれたから嬉しいってなもんでさぁ。でもこの詞を見た時、凄く嬉しくてさぁ。
実はこの曲、UAに唄って貰おうって思って作った曲じゃなくて、単にインストで入れようと思った曲なんだよ。それで曲が出来た段階になってUAの唄が聞えたんだ。それでお願いしたんだよ。でもUAとはそんなに親しく話したりした事はなかったんだ。「Ringo」のセッションとリトル・テンポでのライヴ、それ位しかコミュニケーションしてなくて。
でもこの歌詞を作って唄ってくれた事は嬉しかったし、唄の入ったデモ・テープを聴いた時に凄く感動したんだよな。彼女の大きさってこともあるんだろうね。もの凄く創造的だなって思って。だからUAを褒めるべきだと思うけどね。でもこの二行は音楽を聴く人に対して随分伝わる歌詞だよね。自分の作品の中にある唄だからって事だけではなくて、UAの歌詞に感動してくれるのは凄く嬉しいよ。僕の音楽には言葉がなかったからね。
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