本当に驚くべきこと、真にブライテストなニュースはいつもあまりに突然やってくる。まるで、ふとつけたテレビでいきなり中田のオーヴァーヘッド・ゴールが報じられているのを見たり、
野茂のノーヒット・ノーラン達成が報じられているのを見たような気分。いや、ジャマイカ音楽好きにとっては、今回のデタミネーションズのアルバムの完成度は、それ以上のニュースかもしれない。
カールトン&シューズのファースト並みの…
9人編成のバンドの徹底した生音によるアーリー60'sスタイルのジャマイカン・スカ。と書いてしまえば簡単に流れてしまうが、まずこの3つ、断言させていただこう。
【断言1】このアルバム、聴けば、「スタジオ・ワンから発売しました」といっても誰も疑わないはず。
【断言2】ホーン・セクションとリズム・セクションの間にやんわりと漂うクールさ極まりない間(ま)は、本家・本尊スカタライツに勝るとも劣らないレベル。
【断言3】アルバム全体を通しての異常なほどの密度の高さ。はずれ曲のなさはミラクル・アルバム、カールトン&シューズ『ラヴ・ミー・フォーエヴァー』、カルトーラ『沈黙のバラ』なみ。つまり、これ以上はないもの。
とくれば、通常、オーセンティック・スカと呼ばれている路線? と気付く読者はカンのいい人。リスペクト。しかし、先にオーセンティック・スカと書かずに、あえて″アーリー60'sマナーのジャマイカン・スカ″と書いたのは、デタミネーションズのリーダー、コウズのこんな考えから。
「唯一、オーセンティックという敬称が与えられていいのはスカタライツだけだと思うんです。スカ=スカタライツ。ワン&オンリーの存在ですから。ぼくらのことも、よくオーセンティックと形容されるんですが、この言い方は僭越と言うか、分不相応だと思いますね」。
やはり、スカタライツへの思いは別格のようだ。もちろん、単にスカと書かなかったのは、現在大衆レベルで主流となっている、2・トーン乗りのスカ、つまりロンドン、ロサンゼルスの白系のスカ(スカパラ系も含め)と区別するため。ある種、優雅かつジェントルとさえいえるデタミネーションズの音のタッチと間(ま)を、この手のホワイト・スカと同一視して考えることは本当に不幸だからだ。
「偉大な親を乗り越えたるで!という子供の気持ちかな」
ともあれ、やはりこの見出しの気持ちはメンバー全員のモチベーション。偉大な親、つまりスカタライツを絶対乗り越えたる、という気迫はメンバー全員にありありとみなぎる。さっきまで、オーセンティックという称号は僭越ですと謙遜していたリーダー、コウズもこの話になるといきなり「スカタライツがナンボのもんじゃい!」と意気上る。
ちなみに、いつごろ乗り越えられそう?という質問には「50年ぐらいかかるかも」(ヒトシ・マツイ/ギター)から「もう乗り越えてるんとちがうか」(オオノ/ドラム)、はたまた「今回は″泣き″の要素が入りすぎた。ブルースフィーリング過剰? この泣きの感覚のギャップが埋まるのはいつのことやら」(シゲル・マツイ/ベース)まで、意見はさまざま。
リーダー・コウズは「ウチのメンバーはまるでおでんの鍋のように、よく調和がとれてる。シゲルはおでんなら大根みたいな存在。陰陽道で言うところの陰の存在。ヒトシはスジ肉。陰陽道では陽の存在…」というが、スカタライツを越える時期については、メンバーの意見は多様だ。
ちなみにリーダーの存在は?と聞けば「しいて言えばネリガラシ。横の方でちょっといて、毒消しの役。で素材同士の間(ま)を整える」とのことだ。
「スカ=間(ま)の音楽。落語の間、床の間の間、間合いの間、なんです」
先ほどからリーダー、コウズの言葉にたびたび登場する言葉に、この間(ま)という切り口がある。今回のアルバムに支配的なニュアンス、例えばアコースティックで、ある意味マイルド&ジェントルで、ちょっとノスタルジック。しかしこれらの素晴らしいニュアンスすべては「それ自体を狙ったものではなく、スカとは何ぞや、と考え抜いた結果に現れてきたもの。なにより音の間(ま)を大切にした結果です。スカ=間(ま)の音楽。実は日本人の感覚とも似てるんです。″絶妙の間″という表現があるでしょう。この絶妙の間がいっぱい詰まったアルバム
。それが今回のアルバムなのです」とリーダー。
またギターのヒトシ・マツイは「10代にハードコア・パンクや、オイ・パンクをずっと聞いていて、ああいう″押しでもってNOをアピールする音楽″は逆に無力だなと。これではなく″引きの美学″というか″陰の美学″というかクールさを極めることによって、より説得力のあるNOをアピールする。いわゆるかつてのジャマイカ的なレベル・ミュージックの有り様を追及していくと、今回のようなジェントルなスタイルになったわけです」とも語る。
なんとなくこの辺で見えてくるのが大阪の南部のレゲエ人とのスタンスの差。ご存知の通り関西でメジャーなダンスホール系アーティストは不思議なほど大阪南部の住民。だんじり祭で有名な岸和田を中心に、貝塚、泉佐野といったいわゆる熱い・けんか早いといわれるエリアから生まれたDJやクルーはブギー・マン、レッドプリンス、ターミネーター、ザビエル…と数えられないほど。
これに対し、デタミネーションズのメンバーはほとんどが、豊中など大阪北部の住民。南部より、よりアップタウン的な地域色が彼らの独特なクールネス、つまり引きの美学につながるレベル・ミュージックに出ているようにも思える。
とはいえ、このレベル・ミュージックの心は、リーダーによれば、「SMクラブにM志望で行って、縛られて身動きとれないのに、いつの間にか思い切り偉そうにS嬢に命令しまくっている感じ。一見Mに見えて、実はSを超えたS、という感じ」だとか。
ともあれこのアルバム、少なくともドラムのオオノが言うように、「絶対海外にも自慢できる内容。未だに日本人は一流品は外国製、日本製は二流品なんて頭の人が多いけど、そんな考えを覆せると思う」というクオリティーであることは間違いない。演奏力の高さだけをとってみても、『スイングジャーナル』で評価されてもよさそうだ。
音に加えメンバーの話を聞き、やはりこの確信を深めた。おそらく、控えめに言ってもこのアルバム、″スカ誕生以降、全地球上で出たスカ・アルバムの中で、間違いなくトップ・テンに入る大作″だと。
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