NIPPON BEATS DON'T STOP
Text by Hiroshi Egaitsu  
 
 誰もが感づいている様に、日本のヒップホップ・シーンは現在、定着といったことを通り越して、もの凄いことになっている。街の小さなクラブでアンダーグラウンドに活動するアーティストから大衆が見守るメディアに登場するアーティストまで、その血は果てしなく日本の音楽文化を潤しているという事実を疑う者はいないだろう。そして2002年春、怒濤のリリース・ラッシュ。日本のヒップホップは一体どこまで昇るのだろうか?  
 その時がやってきた。今ほど日本のヒップホップがかつてないほど盛り上がっていることはないであろうし、それは新しい未来を約束する徴でもあるだろう。そして、ヒップホップはかつてないほど広く、幅広く、深く、そして高みに昇っている。そのことを僕たちは知るべきだ。例えば、キエるマキュウは彼らの最新シングルである「Icecube / Mozu」でこんな風に言う。 
 「音楽とのSex一晩中/シンデレラじゃないんだから大丈夫/気分次第で責めないで/バカな言い訳言わないで/洞穴の中で大きくなる影/もっと大きくなれ/食う寝る遊ぶ太く愛す/ビッグサイズ水の一番怖いタイプ/ぬるま湯ふざけんな/なめんな/バカボンの主役はパパなのだ」(「Icecube」) 
もしくはこのようにも言う。 
 「土台俺たちHiphop浮浪者 I Like Gunshot 大人の玩具 出発進行」(「Mozu」) 
 
 この春にリリースされるこの国のヒップホップは実に数が多い。ヒップホップの基本的理念は競争だというが、闘いはもう始まっているという感が強い。音楽はしかし勝ち負けではない。個人的には僕はそう考えている。そうでなければ、キエるマキュウのリリックをここに書き写しはしない。彼らの作品は…彼ら自身はどう考えているか判らないが…明らかにアートだからだ。アートだということは人を動かすということだ。日本のヒップホップを聞いた後に何も残らないような作品があればそれはアートとしては理想的とはとても言えない。しかし、怠け者の僕がざっと聞いただけでも、2つのことをここにどうしても記したい。一つは、ラッパーたちへの尊敬の念を僕は抱いているということ。彼らはヒップホップへの愛が動機でここまでの水準のものを作り上げている。例えば、グッドフェローズというGoukiとKiloの2人組がリリースした『Bamuda 58』の4曲目、「Violence(DEF) Death Game」はビートがシンプルでフリースタイル的な構成の曲だけに彼らが如何に実力のあるラッパーかということをはっきりさせるだろう。彼らは新世代である。 
 
日本のヒップホップはここまできた。もう一つは、トラックメイカーの水準が如何にあがってきたかである。数年前のヒップホップはライヴを見る方が分かりやすかった。なぜか? はっきり言えば、ライヴの時の迫力や瞬発力、その場のグッドヴァイブがCDというメディアで記録される場合に試行錯誤がされていたからではないかと考えている。試行錯誤はこれで終わっているわけではない。アートはスポーツと違って勝ち負けではない代わりに、終わりがない。アートは次へいつも続く。続いていくのがアートだ。なぜならそれはパブリックなものとして残っていくからだ。アーティストが死んでもアートは続いていく。CDとなった瞬間、レコードとしてリリースされた瞬間からアートは生き続けるのだ。だから試行錯誤も続くだろう。アートに高みはあっても完成はない。新しいトリックと新しいスキルが生まれ続けるだろう。 
  
 しかし、それにしても、例えばNippsのアルバムを聞く時、彼がいかにヒップホップを知っているか、それを(僕のように)知識としてではなく、まるで彼の腹に乗った脂のように自分のものにしているか、それを僕たちは感じることが出来る。Nippsは異能のラッパーとして天才肌のラッパーとして知られているだろう。しかし、ここに完成した彼のアルバムは天才が才能を垂れ流して出来るようなものではない。ここには素晴らしいトラックもあるのだ。そして、トラックは天才的なMCと同様にヒップホップにいかに重要な要素を占めているのかはみんなが知っていることだろう。 
 
 Think Tankの『Black Smoker』についても同じことが言えるだろう。彼らのMCとして技術は勿論だが、ここには幾つかのインストゥルメンタルが含まれている。それはサイケデリックという言葉を使いたくなる程ハイな気分を聞き手に与えるだろう。そして、そういう要素はヒップホップに限らず、日本のポップ・ミュージック全般に今まであまりにも欠けている要素だった。Think Tankは違う。彼らは、(例えば)サイプレス・ヒルがサイケデリックだというのと同じ意味でサイケデリックなのである。 
 
 Nitro Microphone Undergroundのメンバーの活躍はここで特別に記さなくてもいいだろう、という程彼らは客演や自らのソロ・プロジェクトを進行させている。彼らの活躍はまだまだ続くだろうし、僕はそれを楽しみに待っている人間の1人だ。昨年のフジ・ロック・フェスティヴァルでのベスト・アクトはNitro Microphone Undergroundだった。僕は彼らはステージに登場してきた時、ひどく動かされた。フジ・ロックを扱うメディア(彼らは可哀想だが、まだヒップホップをどう聞いていいか困惑しているようだ)がロック中心だったために、彼らの評価をパブリックではあまり聞かなかったが、記録という意味でここに記しておく。 
 
 最後に2つのことを記しておく、伝聞なのではっきりしたことは書くことが出来ないのが残念だが、あるラッパーはTVで日本のヒップホップの多くはセル・アウトだ、俺がそれを変えてやると宣言したという。誰がセル・アウトで誰がリアルなのかとかそういった話題には僕はいっさい興味はないが、今、日本のヒップホップに必要なのはユナイトであると僕は考えている。結束をし、一つの大きな力として戦っていくべき相手はヒップホップのフィールド内にいるのではない。そうではないだろうか? そして、もう一つはハード・ドラッグを相手にする時には自分の考えをはっきりさせておくべきだということ。そうでなければ結果は滑稽なだけだ。マジで。東京純醸造オールド・スクール馬鹿(=僕)の書くことにもたまにはあっていると思う。日本のヒップホップよ、その将来へ幸あれ!